2008年1月14日月曜日

アンダルシアのオリーブ畑ー(2)

パコ・イバニェス(Paco Ibañez)が歌うミゲル・エルナンデス(Miguel Hernandez)の詩

            (この画像をクリックすると拡大できます)


カソーラ(Cazorla)の町からさらに北に行くと標高2000米前後の山がいくつもあり、その山腹にある小さな村をいくつか訪ねたのですが、その途中で切り立つような山肌に、びっしりとオリーブの木が植えられていたのを見て驚いてしまいました。とにかく木の根っこにでもすがらないと、とても登ることも難しいような急な斜面ばかりです。こんな場所にオリーブの木を植えて、手入れや収穫は一体どうするんだろうと不思議で仕方がありませんでした。

Olive field on top of the mountain


今はだいぶ機械化が進んでいるようですが、私が昔スペインで見かけたオリーブの収穫というのは、木の周りにシーツのような白い大きな布を広げ、数人の男たちが輪になって竿でオリーブの実を叩き落す、という実に原始的な人海戦術でした。
立っているのが精一杯の急な斜面で、腰をかがめてオリーブ畑の手入れをやり、収穫期には木につかまりながら実を叩き落す作業をしたであろう、むかしの日雇いオリーブ労働者のつらい生活を思ったとき、今から40年くらい前にパコ・イバニェス(1934- )が歌って評判になった「ハエンのアンダルシア人」(Andaluces de Jaen)の歌詞を思い出したのです。それはミゲル・エルナンデスの詩「オリーブ労働者」(Aceituneros)を、シングソングライターのパコ・イバニェスが、ギターの弾き語りで歌った曲です。

私はこの急斜面のオリーブ畑を目の前にして、なぜあの歌詞が、「オリーブ労働者よ、オリーブの木は地主のものではない、お前達のものだ、奴隷になるな、立ち上がれ」と激しい言葉で呼びかけているのか、その背景がやっと理解できたという感じがしました。そしてまた、なぜこの歌が60年代から70年代にかけてのスペインで、フランコ独裁体制にやり場のない不満を抱いていた若者たちの心を捉えたのか、その理由もよく分りました。
私の友人の「元若者たち」が、学生のころ親には内緒でパコ・イバニェスのアングラ公演に出かけたりしたものだ、と懐かしそうに話しているのを聞いたことがあります。

ハエンのアンダルシア人よ  Andaluces de Jaén,

誇り高いオリーブ労働者よ aceituneros altivos,

本気で答えてくれ、誰が、 decidme en el alma: ¿quién,

誰がオリーブの木を育てたのか quién levantó los olivos?

ひとりで育ったわけはない No los levantó la nada,

お金でも地主でもない ni el dinero, ni el señor,

黙した土地と    sino la tierra callada,

労働と汗と     el trabajo y el sudor.

で始まるこのミゲル・エルナンデスの詩は、スペイン内戦(1936-39)の最中に、共和国の兵士たちや市民の間でずいぶん愛唱されたものだそうです。アンダルシアの戦線では、スピーカーでこの詩をフランコ軍の塹壕に向けて朗読して投降を薦めた、という話もあります。

ミゲル・エルナンデス(1910-1942)はガルシア・ロルカとほぼ同世代のスペインの詩人ですが、貧しい家庭に育ち、羊飼いをやったりしていろいろ生活の苦労をなめたあと、内戦の時には共和国軍の文化委員の肩書きで、南スペインの戦線で共和国政府の宣伝活動に携わっていたようです。その時に作った詩のひとつがこの「オリーブ労働者」(Aceituneros)です。このほかにも、故郷に残してきた妻と生まれたばかりの息子を想う詩など、読む者の心を打つ作品があります。

共和国軍には、将校でも文字が読めないという民兵出身の部隊長がいたそうですから、兵士に至っては文盲は特に珍しいことでもなかったようで、そんな兵士達にも口伝えで愛唱されたというミゲル・エルナンデスの詩は、分り易くてしかも読む者の心を揺さぶるものがあるということでしょう。

彼は内戦後に逮捕され、獄中でも詩を書き続け、31歳の短い生涯を閉じています。

1975年まで35年間も続いたフランコ政権の下では、ミゲル・エルナンデスの作品を自由に発表するのは難しかったので、パコ・イバニェスもたぶん当時の検閲を避ける為でしょうか、歌のタイトルには詩の題名ではなく冒頭の一行を使っています。

私が持っているCD(Universal Musicは、''Paco Ibañez en el Olympia''というタイトルで、パリのオランピア劇場での実況録音版(1969年)です。

ミゲル・エルナンデスの作品は歌がつけやすいということでしょう、フラメンコ歌手を含めて沢山の歌手が彼の詩にメロデイーをつけて歌っています。

それについては、また別の機会にお話し致しましょう。

(スペイン語でミゲル・エルナンデスの作品を読んでみようと思われる方は、次のサイトをご覧下さい。''Aceituneros'' は ''Vientos del Pueblo''詩集に入っています。

http://mhernandez.narod.ru/viento.htm


2008年1月8日火曜日

カタルーニャのロマネスク教会ー(2)


Sant Pere de Graudescales教会



(本文に挿入してある画像をクリックすると、画面を拡大することができます)
今回は普通の観光案内書には載っていない、いわゆる知られざるカタルーニャのロマネスク教会をひとつご紹介したいと思います。

今から2年ばかり前の冬に、バルセロナの友人のG氏ご夫妻が、余り知られていない珍しいロマネスク教会があるのでご案内しよう、と誘って呉れました。場所はバルセロナから北西に100キロ足らずのところで、距離的には大したことはないのですが、途中から川沿いの細い山道を辿って行かねばならないのと、その上あいにくのお天気で霧に巻かれて見通しが悪くなったものですから、雪解けでぬかるんだデコボコ道を、まるで歩くようなのろのろ運転になり、予想以上に時間が掛かってしまいました。

途中で川に渡した木橋があったのですが、橋板が傷んでいてそのうちの何枚かは一部が欠け落ちたりしていましたので、G氏はしばらく橋の上で飛んだり跳ねたりして安全を確認していましたが、念のためみんな車を降りて車体を軽くして橋を渡ったり、などということもありました。
しかも、霧の中を行けども行けどもお目当ての教会が見つからず、「ひょっとして道を間違えたのでは」とか、「そろそろ引き返した方がいいのでは」、などという車中の雰囲気になりかかった頃、とつぜん霧が晴れ、松林の向こうに教会の屋根が見えたので一同大喜びでした。 Sant Pere de Graudescales church

この教会の名前は「グラウデスカレス村の聖ペテロ教会」という、ちょっと舌を噛みそうな名前ですが、10世紀にベネデイクト会の修道院として建てられたのが始まりだそうです。
もうかなり前からグラウデスカレス村は廃村になっており、教会も使われないまま長らく放置されていたようですが、1973年に文化財として今の姿に修復されたということです。

こじんまりした教会で私が持っていたレンズでも全景が写しこめること、そして前から見ても横から見ても実に美しい建物なので、束の間の霧の晴れ間を利用して夢中でシャッターを押していました。 Inside the church 教会の中は、ふだん使われていないこともあり、ごく質素な祭壇とベンチがあるだけで、あとは何の装飾もなくガランとしています。

しばらくするとまた霧が出始めたのでそこそこに引き上げましたが、帰り道に車の窓からうしろを振り返ってみると、教会のあった辺りの松林は再び霧にすっぽり包まれて見えなくなっていました。
まるであっという間に魔法の扉が閉まった、というような感じでした。
私にとっては忘れがたいロマネスク教会のひとつです。

この教会に就ては余り資料も見当たらず、これ以上の詳しい説明は出来ませんが、写真を何枚か添付しておきますのでご覧ください。 Road to the church

Posted by Picasa

2008年1月7日月曜日

アンダルシアのオリーブ畑 - (1)


Town of Cazorla

昨年の4月初めに、オリーブオイルの産地として知られる南スペインのハエン県を訪ねました。首都のハエン(Jaen)市まではグラナダから北に100km足 らず、そしてそこから更に100キロばかり東にある避暑地のカソーラ(Cazorla)の町に泊まって、周辺をドライブして回ったわけです。カソーラは人 口1万人足らずの町ですが、軽井沢並みの海抜800米ぐらいの高地なので、夏場は40度にも達する南スペインの暑さを逃れる避暑客で大変混雑するそうで す。でも私達が訪ねたのはイースター休暇の時期で、ホテルは結構混んでいましたが、道路が混むようなことはなくて助かりました。

グラナダ の飛行場でレンタカーをして、ハエン市に向けて北上し始めると、もうすぐ道路の両側はオリーブ畑となり、あとは行けども行けども緑一色のオリーブの木ばかりです。


Olive field in Jaen

ハエン県には6,000万本のオリーブの木があるという話です。まさか一本一本数えたわけでもないでしょうが、とにかくオリーブ畑から日が昇り、 そしてオリーブ畑に日が沈む、というのが実感になります。
たまに近道をしようとして細い農道を通り抜けたりすると、まるでオリーブの木のトンネルを抜けているような感じで、濃い緑色のオリーブの枝が両側から車に覆いかぶさって来て視界を遮ります。4日間も同じことを続けていると、目を閉じてもオリーブの木にとり囲まれた夢を見るという始末で、もうすっかり船酔いならぬ、「オリーブ酔い」という気分になってしまいました。
オリーブの木は植えてから8年ぐらいで実が採れるようになり、樹齢35-40年くらいがピークで、あとは次第に老齢化して70-80年でもう実は採れなくなるそうです。何だか人間の寿命みたいです。

お天気の方は、もともと雨が少ない地方の筈なのに、どういうわけか連日の雨に祟られて、望遠レンズまで付けて2台も持ってきたカメラを取り出すチャンスもありません。

Jaen in the rain


しばらく行くと、車のはるか右斜め前方の山の中腹あたりに、白壁の家が固まって、雛壇のように山肌からせり出している村が見えてきました。それにベールを被せたような霧が掛かっていて、まるで話しに聞いた桃源郷のような風景だったのですが、残念ながらそれもただ土砂降りの雨の車窓から眺めるだけで、あっという間に通り過ぎてしまいました。チャーチルの肖像写真などで世界的に有名な、カナダの写真家ユースフ・カーシュが、「私の本当の傑作は、私の記憶にしかない写真である」という意味のことを言っています。「逃がした魚はいつも大きい」というのは、釣り人だけの嘆きではなさそうです。


Baeza - Semana Santa




ハエン市から東に50キロぐらい、時間にして45分ばかり走るとバエサ(Baeza)の町に着きます。お隣のウベダ(Ubeda)と併せて5年前に世界文化遺産に登録されましたので、観光案内書などにも載っているかと思います。バエサは人口2万人足らずのこじんまりした町ですが、ローマ時代からの歴史を持つ古い町で、南スペインには珍しいロマネスクの教会があったりして、いまでも中世の雰囲気を残すなかなか味のある町です。

私達がバエサを訪ねた日もあいにくの雨模様のお天気で、地元の人たちは南スペインでは大事な年中行事である、イースター(Semana Santa)の行列が台無しになるのでは、と心配そうな表情で熱心にTVの天気予報を見つめていました。聞いてみるともう一年も前から準備を始めていて、鼓笛隊はじめ関係者はみんなリハーサルも済ませているので、何とか行列が出る時間だけでも雨が止んで欲しい、と真剣な表情です。

Paso entering the Cathedral of Baeza

カテドラルの入り口に人だかりがしていたので近寄ってみると、行列に使う山車(スペイン語では’’Paso’’)を大聖堂に持ち込み、マリア像をお載せする準備が始まるらしいと分りました。雨除けの大きなビニール袋で覆った山車が着いたのでカメラを構えたら、隣りに立っていた老人が私の手を押さえて「一寸待て」という合図をしました。写真を撮ってはいけないのかなと一瞬思ったら、どうも未だタイミングが早すぎる、と言うことらしいのです。山車がカテドラルの入り口に半分ぐらい運び込まれたところで、包んであった布とビニールのカバーを少し外して、ほんの一瞬だけ山車の素肌を披露するというわけです。ちょうど踊り子がスカートを一寸つまんで持ち上げる、という感じです。
あっという間に山車はカテドラルの中に運び込まれてしまいましたが、銀細工を周りに張り詰めた実に立派なものでした。隣の老人は私の顔を見て「撮れたか?」と聞いてきましたので、デジカメの再生で画面を見せてあげたら、ウンウンとうなずいて満足そうでした。見知らぬ観光客にもこうやって声を掛けてくれるのが、南スペインの旅の良さです。