2012年12月19日水曜日

スペイン・ロマネスクの旅(8) アララール山系の聖地と聖ミカエル教会(Sanctuary of Aralar - Church of Saint Michael)

(Map of Spain)

写真(1)山道で出会った馬の親子(Road to the Sanctuary)

写真(3)聖地の道路標識(Road sign of the Sanctuary)

写真(3)聖ミカエル教会遠望(Church of Saint Michael on the hill top)

アララールの聖地(Sanctuary of Aralar)

ナバラ州の首都パンプロナから北西に約30キロ、途中で放し飼いの馬の親子に出会ったりしながら、アララール山系の山道を標高1,200米くらいまで登りつめたところに、「アララールの聖地」または「サン・ミゲルの聖地」として知られる「聖ミカエル教会」があります。

アララール山系(Sierra de Aralar)は、標高1,200-1,400米くらいの山々が、ナバラとバスク地方のギプスコア県にまたがって点在する広い高原地帯で、一部が自然公園に指定されていますが、この地域には太古から人の住んだ形跡があり、大きな石を石室状に組み上げたドルメンが数十個発見されています。ドルメンはおそらく新石器時代から青銅器時代の間に築かれた墳墓であろう、との見方にしたがえば、紀元前数千年の昔から、アララール山系にはドルメンを築くだけの能力を備えた人たちが住んでいたことになります。

スペインで聖地(Santuario)と呼ばれるものの中に、キリスト教が到来する以前に土着信仰の聖地であったと思われる場所がいくつかありますが、アララールの聖地もそのひとつです。子を授かりたい夫婦が聖地に詣でる風習があったらしいことや、昔は教会の中に大きな石があり「その石にすわってミサに参列すると子宝が授かると信じられていた」などの伝承は、巨石信仰の色彩がつよい古来からの聖地を、キリスト教の聖地として取り込んでいった名残りではないか、という気がします。

聖ミカエル教会(Iglesia de San Miguel)

写真(4)教会東面の図(East view)

写真(5)後陣(Apse)

写真(6)プレロマネスク様式の痕跡を残す中央後陣(Central apse)

写真(7)北東面の図(North East view)

聖ミカエル教会(Iglesia de San Miguel)が現在の形を整えたの12世紀半ばですが、すでに9世紀にはプレロマネスク様式の小さな教会が同じ場所に存在したことが、教会周辺の発掘調査から判明しています。ただしこのプレロマネスク教会は10世紀前半のイスラム軍の侵攻により焼失し、11世紀後半にまず後陣と祭壇を含む内陣部分がロマネスク様式で再建されました。なお中央後陣の写真(写真(5)-(6))で黒ずんで見える石積みの箇所が、プレロマネスク様式の古い教会のものとされています。

七宝細工の祭壇画(Altarpiece of Limoges enamelware)

写真(8) 祭壇方向の図(View of the altar)

写真(9)祭壇(Altar)

写真(10)七宝細工の祭壇画 (Altarpiece of Limoges enamelware)

写真(11)祭壇画中央部分の拡大図(Altarpiece close up)

アララールの聖ミカエル教会といえば「七宝細工の祭壇画」をすぐ連想するほど、この縦1米、横巾2米の長方形の祭壇画は有名なものですが、これはフランスのリモージュの工匠たちの手で1175-1185年ころ制作された、という説が有力です。リモージュの七宝細工の起源は12世紀とされているので、比較的に早い時期のリモージュの名作のひとつということになります。中央の聖母とイエス像の部分を拡大した写真(11)からもうかがえる通り、銅板に実に手の込んだ加工がなされているのが分かります。
祭壇画はガラス入りの大きな額縁状のケースに納められ、祭壇のうしろに安置してありますが、私たちが教会を拝観したときは、ほかに人影もなくまた出入りも自由だったので、1970年代末に起きたという盗難事件の再発などがなければよいが、と祈るような気持ちになりました。

作品の質の高さから判断して、ナバラ王家の寄進になるものではないかという説もあるほど、本来なら大聖堂に寄進されてもおかしくないほど立派な七宝細工の祭壇画が、なぜ人里はなれた山中の教会の所蔵になっているのか、謎の部分があります。
しかし逆に見れば、古来の地場の聖地に建てられた聖ミカエル教会は、単なる田舎の一教会ではなく、むしろ11-12世紀のカトリック教会にとっては、ナバラからバスク地方にかけての布教戦略上、たいへん重要な拠点のひとつだったのではないか、とも考えられます。

ひとつのヒントは、聖ミカエル教会がロマネスク様式で再建された11世紀末に、パンプロナ司教の指導のもとにサン・ミゲル(聖ミカエル)信心会の組織作りが始まっていることです。この信心会(Cofradía de San Miguel)は、最盛期には会員4万人に達したと言われ、現在も存続しています。
サンティアゴ巡礼や十字軍運動が熱病のようにヨーロッパ全体をおおった時代に、信心会に加盟する信徒が急増するのは不思議ではありません。しかしスペインの中でもキリスト教の浸透が遅れたバスク地方とそれに隣接するナバラ地方の一部の信徒は、まだ内心では巨石信仰など土着信仰の名残りを引きずっていたと考えるのが自然ではないでしょうか。そういう信徒のキリスト教信仰を確かなものとするためにも、古来の聖地に聖ミカエル教会を建て、土着の信仰を取り込みながら、サン・ミゲル信心会の形で民衆の宗教エネルギーを教会に吸収していく必要があったのではないか。そしてナバラ王権もそれに賛同し、聖ミカエル教会にいろいろ寄進をしたのではないか。私はそんな風に推測しています。

聖地の風景

写真(12) 聖地から眺めたアララール山系(Aralar mountains)

写真(13) 教会周辺の風景(View from the Sanctuary)

写真(12)の右手前に見えるのが中央後陣、その奥の建物は教会に隣接する宿泊施設ですが、夏にはこの聖地に信徒が泊りがけで集うそうです。
聖ミカエル教会は20世紀後半の修復工事で相当手が加えられているため、建物自体の歴史的価値はいまひとつのようですが、七宝細工の祭壇画の見事さと、そして聖地の澄み切った空気が、訪れる者を魅きつけてやまない教会です。

(Summary in English)
Sanctuary of Saint Michael of Aralar(Navarra, Spain)

The Romanesque church of Saint Michael (Iglesia de San Miguel) is located on a hill top of the mountains of Aralar, about 30 km north west of Pamplona. The area is also called ''Sanctuary of Aralar'' or ''Sanctuary of Saint Michael''. The mountains of Aralar is also known for the existence of tens of dolmens(megalithic tombs) dating from the Neolithic to Bronze period. It means in this area people lived since hundreds, if not thousands, of years BC, who were capable of stoneworks.

The church is famous for its magnificent altarpiece of Limoges enamelwork made in late 12th century. The current church building was originally constructed during 11th to 12th century with significant repair work done in 1970's. Archaeological excavations have revealed that a pre-Romanesque church already existed since 9th century at the same place which apparently was destroyed by a Muslim incursion in mid 10th century.