2017年8月31日木曜日

スペインロマネスクの旅(15)モレルエラのサンタ・マリア修道院 Monastery of Santa Maria at Moreruera


モレルエラの聖母修道院跡 Monastery of Santa Maria at Moreruera(Zamora, Spain)

前回のサンタマルタ・デ・テラ教会を後にして、サモラ(Zamora)に向かう車中から‘’サンタマリア修道院まで3.7キロ‘’という道路標識が目についたので、「ちょっと回り道をしてみよう」ということになり、柵の中で放牧の牛がのそのそ歩いている姿を横目に見ながら、でこぼこ道をしばらく行くと、サンタマリア修道院の廃墟にたどりつきました。         
予定外だったので修道院については何も知らず、廃墟に身をおいた時に痛感する迫力に見とれただけでしたが、あの廃墟の持つ強烈な印象というのは、前々回のSant Pere de Rodes修道院をはじめて訪れた時、それと何十年も前のバルセロナで、未完というよりまるで爆風で壊れてしまったかのような、サグラダファミリア教会の前に立った時に、それぞれ感じたものでした

 Photo(1) サンタマリア修道院跡(教会の南側壁) Church wall of the Monastery(SW view)

Photo(2) 修道院跡への道路標識 Road sign to the Monastery




サンタマリア修道院は12世紀の半ばころ、サモラ市(Zamora)の北40キロくらいの人里離れた場所に建てられた、シトー会傘下の大修道院で、200名の修道士を収容していたそうです。
Photo(3) 修道院西面図 West view of the Monastery(right door is the main entrance of the church)


付属教会も長さ63メートルと大聖堂なみの巨大なものでした。
Photo(4) 修道院付属教会(西門から内陣方向を眺めた図) The church(view towards the chancel)


内陣の奥に巡礼のための周歩廊と七個の小アプス(祭室)を設け、内陣で執り行われる礼拝の儀式と切り離す、巡礼路の大教会の構成になっていますが、西部スペインを南北につなぐ、いわゆる「銀の道」にそった聖地のひとつとして、数多くの巡礼者が訪れる修道院だったのでしょう。
Photo(5) 内陣から週歩廊を見る図 View of the chancel towards ambulatory


次の写真は回廊があったと思われる場所から、教会を眺めた図ですが、たぶん石柱類は建材として売り払われたか、誰かが勝手に持ち去ってしまったのでしょう、いまは全く何も残っていません。もっともシトー会聖堂の常として、装飾類は修業の妨げと見なされていたことから、たぶん柱頭彫刻などに見るべきものはなかったのでしょうが。
 Photo(6)回廊跡から教会を見る図 (View from the cloister)

シトー会は働く修道士の集団とされていますが、人里離れた大修道院ともなれば、助修士と呼ばれて、保有地の農耕、家畜の世話、調理などなど、修道院の雑用を担う人々が、修道士とほぼ同じくらいの人数必要だったはずです。ということで、最盛期の13世紀ころのサンタマリア修道院では、何百人という人たちが日常院内を行き来していたことでしょう。この扉はたぶんその人たちの居住区と回廊や教会ををつなぐ、出入り口のひとつだったと思われます。
Photo(7)修道院内の扉口のひとつ (One of the doors in the Monastery) 

サンタマリア修道院は、いまは教会の内陣・後陣部分と建物の壁の一部が残るのみで、コウノトリがあちこちに巣を作る廃墟です。ただし残された石壁の重量感、物量感にはただなならぬ迫力があります。
Photo(8)修道院北面図 North view of the Monastery


私がサンタマリア修道院を訪ねたのは雨模様の日で、広い敷地を駆けずり回っているうちに雨が降り始め、あわてて車に逃げ込むしまつでした。そんなわけで、立派な後陣(7箇所の小アプス)の写真をとりそこなってしまいました。
ということで、スペインのTamorlans氏の写真をWikicommonsから引用させていただき、修道院の復元模型とあわせご紹介します。
Photo(9) 教会東面図 (East view of the church) by Tamorlan(Exterior de Santa María de Morerurea)

Photo(10)修道院復元模型(Model of the Monastery) by Tamorlan(Maqueta de la cabecera)
 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Maqueta_del_Monasterio_de_Santa_Mar%C3%ADa_de_Moreruela_(detalle).JPG


サンタマリア修道院が廃墟になってしまった背景

サンタマリア修道院は、13世紀の最盛期を過ぎたあと、しだいに衰退を続けたようですが、決定的だったのは、多くのスペインの修道院や教会と同じく、19世紀半ばの国のデサモルティサシオン(desamortización永代財産解放)政策により、財産を没収され修道院が解散させられたことでした。

スペインのロマネスク教会の歴史をたどると必ず出会うのが、「19世紀のデサモルティサシオンにより、当修道院は壊滅的な打撃をこうむった」という記述です。
戦後の日本で農地改革が行われ、広い農地を保有する不在地主は消滅しましたが、スペインでは、19世紀半ばに国が修道院や教会の全ての財産を取りあげ、それを競売に付すという手荒な政策を実行したわけです。フランスでも1789年の革命のあと、教会が競売された例はあるようですが、スペインの場合は国策として徹底して実行に移した結果、ほとんどの修道院と多くの教会の建物が放棄され、宗教美術の作品や石柱類まで売り払われたり、略奪の対象になったりして、その多くが散逸してしまいます。

永代財産解放策がとられた時代背景には、19世紀はじめの反ナポレオン戦争を通じて、政治的な自由化を求める気運がスペイン国内で広まり、立憲君主制に基づく自由主義を志向する政権が実現して、教会改革を含む一連の自由化政策を実施し始めたこと。またそれへの反動として旧体制(絶対王政)への回帰を求める勢力が反乱を起こし、「カルリスタ戦争」と呼ばれる長い内戦に発展したことがあります。                                                  

もともと財政難の問題を抱えていた政府は、民衆の教会や聖職者に対する反感を利用して、大地主でもあった修道院や教会の財産を没収したうえで、自由化経済推進の大義名分のもと、国有化した農地その他の財産を民間に競売することで戦費を調達し、内戦に勝利をおさめます。しかし農地の民有化は、豊かな大地主や都市の金持ちがさらに土地所有を増大させる結果を生み、日本の農地改革のような自営農民の拡大にはつながりませんでした。この「持てる者」と「持たざる者」との格差がますます広がっていったことが、20世紀のスペイン内戦につながる問題だったわけです。