2017年7月25日火曜日

スペイン・ロマネスクの旅(14) <巡礼姿のサンティアゴ> Santa Marta de Tera教会

 

『巡礼姿の聖ヤコブに出会う旅』


Photo(1)巡礼姿の聖ヤコブ像( Saint James in pilgrim's costume, carved on stone 12th century)


レオン市から南に約100キロ、ドゥエロ河の支流のひとつテラ川のほとりに、人口300人のサンタ・マルタ・デ・テラ村があります。村の中心に位置するサンタ・マルタ・デ・テラ教会は、いまでは区教会にすぎませんが、10世紀から12世紀にかけては多くの巡礼者が訪れる有名な修道院でした。975年に土地寄進の記録があるので、修道院の創建はそれ以前ということになります。

Photo(2) Santa Marta de Tera church(North view across the road)道路側から北面を見た図


11世紀にはいると貴族や王族からの寄進が急増し、レオンを経由するいわゆる「フランス道」とは別ルート、Ourense経由のサンティアゴ巡礼路の聖所のひとつとして、多くの巡礼者を引きつけた輝かしい過去を持つ教会です。今では、忘れ去られた存在という感じですが、「巡礼姿の聖ヤコブ像で有名な、古い歴史を持つ修道院」として、知る人ぞ知る教会です


教会の位置は 赤い矢印で表示。(The red arrow shows the location of the church)

Photo(3)Plan of the church教会見取り図(原図はRicardo Puente)

方形の後陣(Flat apse)

たぶん旧修道院が手狭になったからでしょう、11世紀後半に立替え工事が始まります。現在残っているのは、12世紀に完成した修道院付属教会ですが、すぐ目を引くのは、後陣がロマネスク教会特有の半円形ではなく、方形だということです。これは旧修道院が西ゴートないしモサラベ聖堂の伝統である方形後陣を採用していたことを物語るもので、11-12世紀にかけての立て替え工事においても、その古い伝統を踏襲したものかと思います。
Photo(4)方形の後陣(Flat apse)



後陣の柱頭彫刻(Capitals around the apse window)

窓枠のアーチを支える柱頭には、なんと名づければよいのか分からぬ怪獣たちが彫りこんであります。いずれも愛嬌のある顔をした怪獣たちです。そうとう風化が進んではいますが、名工の手になる作品であることを感じさせます。同じころ(11世紀後半から12世紀)レオンの新教会やサンティアゴ大聖堂の工事が進んでいましたが、サンタ・マルタ教会の柱頭彫刻も様式や装飾の類似性などから、同じ工房またはそこで学んだ工匠たちの仕事ではないか、という見方があるのも、うなずけるところです。

 
 Photo(5)後陣の窓(Apse window)


Photo(6)窓枠アーチ柱の柱頭彫刻(右)(Capital on the right column)

Photo(7) 窓枠アーチ柱の柱頭彫刻(左)Capital on the left column


南扉(South entrance)

教会のまわりを半周すると、墓石越しに南扉が見えます。南入り口で地べたに座り込んでいる中年の男を見かけたので、「扉が開くのを待っているのですか」と尋ねたら、「いえ、聖ヤコブの顔に太陽が当たるのを待っているのです」という返事がかえってきました。いくつもの教会を駆け足で訪ね歩いていた私たちには、思いもつかぬ返事でした。

南扉左手の壁にかかっている、巡礼姿の聖ヤコブの石像は、12世紀のロマネスク彫刻の名作のひとつとして有名で、たとえサンタ・マルタ教会の名は知らずとも、この巡礼姿の聖ヤコブ像を写真などで目にする機会は、あるかと思います(柳宗元著「サンティヤーゴの巡礼路」(p.17の写真など)

7月25日は聖ヤコブの日、この日が日曜日に当たる聖ヤコブの年(次回は2021)には、サンティアゴ巡礼路がまた一段とにぎわうことでしょう。

聖ヤコブの対面(右手)にある石像は、風化が進んでいて人物を特定できませんが、使徒のひとりなのでしょう。これも同じく12世紀の作品とされています。

南扉周辺の柱頭彫刻にも人と動物が合体したような奇怪な絵柄が採用されています。教会の外壁にある柱頭彫刻は、ひょっとすると旧修道院(プレロマネスク)時代のものが、一部は使い回しされているのかも知れません。

 Photo(8)View of the south door from the cemetery墓地から南扉を見る図


 Photo(9)South door南扉(左手に聖ヤコブ像)


 Photo(10)Saint James, pilgrim巡礼姿の聖ヤコブ像としてはもっとも古いもの


 Photo(11)Unknown apostle使徒像(南扉右手)

Photo(12)Capital(South door)南扉(右側)の柱頭彫刻



北扉(North door)

北扉(北翼廊入り口)の右上(赤の矢印で示した場所)に、頭部が欠損し風化で判別の難しい石像(使徒タダイオス)がかかっています。手の下に刻まれた文字で、使徒タダイオスの像であることが判明したそうです。
 Photo(13)North door北扉(北翼廊への入り口)


 Photo(14)Judas Tadeo(使徒タダイオス)

Photo(15)Enlarged(赤矢印の箇所に「タダイオス」と使徒の名が刻まれている


西扉(West door

西扉が本来は正面入口のはずですが、16世紀に教会西側に隣接して司教館が併設されたりしたため、外部からは見えない場所になっています。なお西扉は20世紀の大改修で新しく作り変えたものです。

Photo(16) West door(entrance to the church)西扉(正面入り口)


教会内部(Interior of the church)

教会は縦29米、翼廊18米くらいの、どちらかと言えばこじんまりした規模ですが、レオン王国の古いロマネスク建築の姿を現在に伝えている点で、重要な意味を持っています。12世紀以降急速に没落が始まり修道院は閉鎖され、アストルガ司教管轄の一教区教会に格下げになってしまいました。何が起きたのか記録がないので全く分かりませんが、あるいは修道院を巡る政治の渦に、巻き込まれてしまったのでしょうか。謎を秘めた修道院です。
春分・秋分の日には、赤い矢印で示した祭壇前の柱頭彫刻(写真18(死者の霊を運ぶ天使たち)に太陽光線が注ぐ、というので評判になっています。

教会内には、ほかにもいくつか柱頭彫刻の秀作がありますが、「本を手にする男と楽師たち」写真(19)もその一例です。
 Photo(17)View of the altar(red arrow shows the place where the light falls on    the capital on equinox days.祭壇に向かって左手(春分・秋分の日に、赤矢印で示した柱頭彫刻に太陽光線が当たる)


 Photo(18)Capital of the soul transported by two angels. The light falls on this 
 capital on equinox days. 柱頭彫刻拡大図(「死者の霊を運ぶ二人の天使」(この部分に太陽が指す)


 Photo(19)Capital(A man holding a book and musicians)教会内の柱頭彫刻の一例(「本を持つ男と楽師たち」)


軒持ち送り(Modillion)


軒持ち送りには宗教と無関係な絵柄が多いものですが、サンタ・マルタの場合も同様です。風化が激しくて判別のつかないものが多数ある中で、豚か何かの動物の例です。なお両脇に見える円柱を積み重ねた形の持ち送りは、プレロマネスクでよく見かけるものです。

 Photo(20)(Modillions)豚らしき動物と円柱状の持ち送り



アメリカに渡った栄光のキリスト(浮き彫り)


この栄光のキリスト像は、もともとはサンタ・マルタ教会の正面入り口あたりに彫りこんであったものかと推測しますが、1926年に米国の美術商が7,000ペセタで買い取ったそうです。現在の換算レートなら50ドルくらい。90年前の貨幣価値はよく分かりませんが、当時のスペイン国内では、ロマネスク美術品は余り評価されない時代だったので、結果として安い値付けになったのではないかと思われます。現在この作品はロードアイランドのSchool of Design 美術館の蔵品です


Photo(21)Christ in majesty(A 12th century relief currently owned by the museum of Rhode Island School of Design)サンタ・マルタ教会の「栄光のキリスト像浮き彫り(12世紀初の作)」が米国に渡った例。


グレゴリオ聖歌を歌う男

拝観を終え次の目的地に急ごうと、駐車場に向かっていた私たちの耳に、教会から朗々とグレゴリオ聖歌が響いてきました。それは口ずさむのではなく、全身の力を振り絞って何かに呼びかけるような歌い方でした。私たちがあっけにとられて立ち止まっている前を、歌い終わった男はわれわれには見向きもせず、スタスタと立ち去っていきました。
さきほど南扉にうずくまっていた男です。荷物も持たずサンダル履きだったので、きっと近くの巡礼宿にでも滞在していたのでしょう。
サンティアゴ巡礼が盛んになり、一日も早く目的地へと、踏破のスピードを競うような話をときおり耳にしますが、「お日様が聖ヤコブ像の顔にあたるのをじっと待つ」そんな巡礼者もなかにはいるということです。しかし、あの男はいったい何者だったのか、いまでも不思議でなりません




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