2013年6月30日日曜日

スペイン・ロマネスクの旅(10) -セルバトスの聖ペテロ教会-(Collegiate Church of Saint Peter of Cervatos, Cantabria)

セルバトスの聖ペテロ教会(Collegiate(Church of Saint Peter of Cervatos, Cantabria)
(For summary in English please see the end of this article)

スペイン全図

写真(1)セルバトス近郊図(Landscape around Cervatos)

写真(2)道路標識(Road Sign) 

写真(3)教会南西図(S.W. view of the church)

セルバトスの聖ペテロ教会(Collegiate Church of San Pedro de Cervatos)
セルバトス(Cervatos)の聖ペテロ教会(Colegiata de San Pedro)は、前回ご紹介したSantillana del Marから南に60キロ、州都Santander市からは80キロの距離にあり、コレヒアータ(参事会教会)の名称を持つ由緒ある教会です。12世紀末に鐘塔が完成し現在の外観が整いましたが、もともとは古い起源を持つ修道院がその前身らしく、史料に登場するのは10世紀末、カスティーリャ伯家よりその廟所なみの保護を受けていたという記録ですが、修道院の創建はそれよりもさらに古い時代に遡るようです。

セルバトスは今は数十戸のごく小さな集落ですが、ローマ時代からイベリア半島の内陸部とカンタブリア海岸をつなぐ、いわゆるローマ街道に点在する宿場のひとつでした。このローマ街道を経由して、カンタブリアの海産物がピレネーを越え、ガリア(フランス)にまで送り届けられたのだそうです。
そして中世のセルバトスは、近くのポササル峠(Pozazal標高千米)を越えて内陸からやって来る巡礼者たちにとっては、Santillanaに向かう前に修道院でひと息つく場所であり、また街道を駆け抜ける早馬の使者にとっては、馬を乗り換える中継所でもありました。

確かな記録がないのでこれは私の想像にすぎませんが、8世紀後半からアストゥーリアス王国が対イスラム戦(レコンキスタ)を展開しつつ旧ローマ街道を南下していくにあたって、ポササル峠をひかえたセルバトスの重要性に注目し、王国の後押しでこの地に小さな修道院が設けられ、そしてその周辺に集落が発展した、というような歴史があるのではないかという気がします。

セルバトスの聖ペテロ教会は、軒持ち送り装飾にふんだんに性描写が用いられていることで有名なため、田舎のいっぷう変わったロマネスク教会であろう、との先入感がありました。
しかし実際に現地を訪ねてみて驚いたのは、聖ペテロ教会は腕のよい石工たちがたんねんに築いたことが一見して分かる、堂々とした構えの教会であること、そして信者席にあたる身廊部分はゴシック様式に改装されているものの、鐘塔、後陣、正面扉などは、いずれも端正なスペインロマネスクの美しさを現在に伝えるものであることに、感服しました。

後陣(Apse)

写真(4)南東図(S.E. view of the church)

写真(5)後陣(Apse)

鐘塔の完成は12世紀末ですが、後陣部分はそれに数十年先立つ12世紀初頭に完成したと見るのが通説です。
この後陣を眺めていると、アラゴン地方のロアレ城内に築かれた聖ペトロ教会を思いだします。11世紀後半のスペインロマネスクの傑作のひとつであり、アラゴン王家の礼拝堂でもあった、ロアレ(Loarre)の聖ペトロ教会と比較するのは酷ですが、あるいはセルバトスで教会建設に携わった工匠の中には、ロアレ城を知っている者がいたのかもしれません。

アラゴン王国の威力を内外に示す狙いもあり、フランスから名工を招聘して一気に仕上げたと言われる、ロアレ城の教会ほど洗練されたものではありませんが、半世紀ばかり遅れてセルバトスにもその影響が及んだという感じがします。(『ロアレ城』については2011年7月11日づけのBlog記事をご参照ください。https://surdepirineos.blogspot.ca/2011_07_01_archive.html)

写真(6)後陣の軒持ち送り(Modillions of the apse, some are of erotic theme) 

後陣の軒を見上げると、有名なエロス礼賛とも受けとれる軒持ち装飾が目に付きます。だいぶ風化が進んでいますが、男根や女性性器の描写であるとの見分けはつきます。
たぶん教会の説明は、これらの彫刻は性にまつわる堕落を戒めるためである、ということなのでしょうが、私にはこれを彫り込んだ石工たちの念頭には、むしろ巨根崇拝など古代からの伝統があったのではないか、という気がしてなりません。

性にまつわる彫刻は、スペインのロマネスク教会の軒持ち送り装飾でときどき見かけるものですが、セルバトスの聖ペテロ教会ほど数多い例は、ほかに見たことがありません。たしかに特異なそして謎の多い教会です。

写真(7)後陣の軒持ち送り(Modillions of the apse, some are of erotic theme) 

写真(8)後陣の窓(Apse window)

教会正面入り口(Main entrance of the church)

写真(9)教会正面入り口(Main entrance of the church)

写真(10)教会正面口の軒持ち送り(Modillions at the main entrance)

写真(11)教会正面口の右壁に掛かる聖ペトロ像(Saint Peter on the right side wall of the door)

写真(12)正面扉(Main door)

写真(13)オリエント風のタンパン(Timpanum of oriental pattern)

教会正面入り口の装飾では、特にオリエント風の文様を透かし彫りにしたタンパンが目を引きます。教会の装飾に関して言えば、タンパンは祭壇につぐ重要な箇所とされ、最後の審判図などキリスト像を刻むことが多いものですが、それとは全く無関係なオリエント風の文様を彫り込んだのはなぜなのか、この点についてはまだ明快な説明を目にしたことがありません。
タンパンとマグサ石(ラントー、英語ではlintel)の間には、6頭の浮き彫りのライオン像が並んでいます。

教会内部(Interior)

写真(14)後陣方向を眺めた図(View towards the apse)

写真(15)祭壇と後陣のアーケード列(Altar & series of arches on the apse wall)

私たちが現地を訪れたのは2年前ですが、事前の情報では教会はふだん閉まっており、鍵は近所の民家が保管しているという話で、時間に余裕がないため内部を見ることは無理かと半ばあきらめていました。ところが運良く教会の掃除にやって来た婦人に出会い、おかげでゆっくり内部を拝観することができました。

写真(16) 胸を合わせた2羽の鳥(2 birds)

写真(17) 聖ペテロと男たち(Saint Peter and men)

写真(18)2頭のライオンと男たち(2 lions and men) 

写真(19)渦巻き模様(Spiral pattern)

祭壇背後の後陣の壁には10個のアーケードがつらなり、それぞれに柱頭彫刻がほどこしてあります。ロアレ城の聖ペトロ教会を思わせる構成です。しかし彫刻の質はとりたてて言うほどのものではありません。セルバトスの工匠たちは、腕利きの石工ではあったけれど、超一流の彫刻家ではなかったということでしょう。ただしタンパンの透かし彫りなどがそうですが、神経を張り詰めて一心に石を刻んだ人たちだったと思います。無骨なところのある柱頭彫刻ですが、逆にそれが見る者にホッとするような暖かさを感じさせるところがあります。

私たちが拝観したときは掃除のためでしょうか、ベンチも全て片付けられ教会内部はガランとしていましたが、今でも現役の地区教会としての役割を果たしているようです。

スペインで教会めぐりをしていて困ることのひとつは、シエスタの習慣があることで、貴重な昼間の時間(ふつう1時-4時)を、教会の扉が開くのをイライラしながら待たされることがよくあります。それに加えて、さいきんは余り有名でない教会の場合には、終日鍵がかかっていて中を拝観できず、スゴスゴ引き返すことが多くなりました。

もう何年も前からのことですが、地方ではひとりの司祭がいくつもの教会を掛け持ちするのがふつうで、司祭が各地の教会を訪ね歩いて、週末のミサを時差方式で執り行う時代になっています。ということで、ふだんは盗難防止のため教会に鍵をかけてしまうことが多くなったわけです。
その点では、セルバトスの聖ペテロ教会訪問は幸運に恵まれたものでした。

(Summary in English)
Collegiate Church of San Pedro de Cervatos
The Collegiate church of San Pedro de Cervatos is located about 80 km south of Santander city, capital of the autonomous community of Cantabria. Cervatos is now a very small community of 80 residents but it used to be one of the stops along the ancient road, so called ''Roman Road''. During the Middle Ages it continued serving the pilgrims or travellers as a stop over place before of after crossing the Pozazal pass(alt.1,000 m).

This 12 century Romanesque church is well known for its modillions of erotic theme. However it is an important example of a very well conserved Romanesque architecture, especially the bell tower, the Apse and the main entrance area. The nave was transformed into Gothic style.

Very little is known of the church's origin but its name appears in a 10th century document referring to an endowment by the count of Castile to the monastery which apparently preceded the church. The origin of the monastery should have been of much earlier days

The count of Castile, later the kingdom of Castile, extended strong support to the church during 11-12 centuries which acted as a royal mausoleum for the Castile house. That will explain the expansion of San Pedro de Cervatos during the Romanesque period.
San Pedro de Cervatos still continue serving as a local parish church.