2012年1月28日土曜日

スペイン・ロマネスクの旅(5) - Puente la Reina & Santa María de Eunate

プエンテ・ラ・レイナとエウナテの聖母教会
スペイン全図(Map of Spain)
サンティアゴ巡礼路図(Routes of St. James Way, by courtesy of Gronze.com)

プエンテ・ラ・レイナとエウナテの聖母教会

一昨年から数回にわたってアラゴン地方のロマネスク教会をいくつかご紹介してきましたが、今回はアラゴン州の西に隣接する、ナバラ地方のサンティアゴ巡礼路沿いのロマネスク教会を取り上げることにします。

Puente la Reinaの町を行く巡礼

プエンテ・ラ・レイナ-王妃の橋(Puente la Reina)

ヨーロッパ各国からフランスを経由してサンティアゴに向う巡礼路はいくつもありますが、ピレネー山脈の手前で二つのルートに集約されます(上掲の巡礼路図参照)。ひとつはトゥールーズからピレネーのサンポルト峠を越えハカに下る道。もうひとつはサン・ジャン・ピエ・ド・ポール(Saint Jean-Pied-de-Port)からロンセスバリェスを経由しパンプローナに下る「フランス道」(Camino francés)と呼ばれるルートです。ハカ経由のルートを「アラゴン道」と呼ぶこともありますが、ハカからはまっすぐ西に向い、ナバラのプエンテ・ラ・レイナの町で「フランス道」に合流します。

パンプローナの南西25キロの地点にあるプエンテ・ラ・レイナは、王妃の橋という町の名が示すとおり、橋があることで人が集まり発展した町です。サンティアゴ巡礼者の中には工人、行商人、大道芸人、レコンキスタに参加する騎士たちなどなど、実に雑多な人がまじっており、中にはそのままイベリア半島に定住してしまう者も多かったと言われます。スペイン各地にVillafrancaという名前の町がありますが、これはフランク人(すなわちピレネー以北の外来人)の町、すなわちもともとは免税特権などを与えられた外国人居住区を意味する言葉だったようです。サンティアゴ巡礼は11-13世紀ころのヨーロッパにおける一大人口移動でもあったわけです。

「王妃の橋」の建設は11世紀半ばころと推定されていますが、全長110米、道幅4米の堂々たるロマネスクの石橋です。ナバラ王国全盛期のサンチョ大王(在位1004-1035年)の王妃が巡礼のために寄進した、などの説もありますが、記録が全く残っていないため本当のところはよく分かりません。ただ11世紀のスペインでこれほど大きな石橋をかける大工事が実現したについては、やはり王家の強力な後ろ盾があったと見るのが自然だろうと思います。観光客も含めての話でしょうが、今でも毎年3万人くらいがこの橋を渡るそうです。

写真(1)プエンテ・ラ・レイナのメインストリート(The main street of Puente la Reina)クリックして拡大(Click to enlarge)
写真(2)橋の入り口(The gate of the bridge)
写真(3)橋を渡る巡礼者(Pilgrims on the bridge)

プエンテ・ラ・レイナを訪れたのは昨年4月末のずいぶん陽射しの強い日でした。私たちを追い越した巡礼者たちは、ブエン・カミーノ(Buen Camino!よい巡礼の旅を)とお互いに挨拶を交わしながら橋を渡って行きました。ふつうならブエン・ビアッヘ(Buen viaje!よい旅を)と言うところです。カメラを肩にぶらぶら散歩していた私にも、巡礼者から''Buen Camino!'' と声がかかったりしました。

橋のたもとで写真を撮っていたとき、ベルギーからやって来たという若い巡礼者に出会ったので挨拶したら、彼女は「今回はもうプエンテ・ラ・レイナで終わり。でもまた来ます。サンティアゴ巡礼は、いちど始めるとやめられなくなるんです」とつぶやいたあと、しばらくじっと川の流れを見つめていました。


エウナテの聖母教会(Santa María de Eunate)

プエンテ・ラ・レイナの町を出て、Camino de Santiagoの標識を見ながら東に5キロばかり行くと、麦畑の向こうに八角形の屋根を持つエウナテの聖母教会が見えてきます(写真 5)。教会というより礼拝堂と呼びたくなる小さな教会ですが、「フランス道」に近いことから巡礼たちの間でも大変人気のある、魅力あふれる教会です。

写真(4) 巡礼路の道路標識(Sign of the pilgrimage road)
写真(5) エウナテの聖母教会遠望(Santa María de Eunate church)


スペイン・ロマネスクではよくあることですが、この聖母教会もほとんど何も記録が残っていないため、いつ誰が建てたものかよく分かりません。エルサレムの墳墓教会を思わせる独特の八角形をしていることから、いろいろ想像力をかきたてられるわけですが、サンティアゴ巡礼が最もさかんであった12世紀半ばころの建築、と見るのが定説のようです。周囲を発掘したとき巡礼の遺体とおぼしきものが出てきたということで、ここにはもともと巡礼救護院がありその一部が礼拝堂の形で残ったのではないか、とする見方が有力です。別にエウナテという村落があるわけでもなく、無人の野原にぽつんと礼拝堂が建っているだけです。中世では霧のたちこめた時や夕暮れ時には、教会の鐘の音が巡礼たちの道しるべになったそうですが、この聖母教会の屋根の塔にも灯りがともされ、巡礼たちを導いたのだろうという説があります。


写真(6) 聖母教会西面の図(Santa María de Eunate,West view)

写真6は西側から聖母教会を眺めた写真ですが、礼拝堂の周りを八角形のギャラリー(アーチのつながり)がぐるっと取り巻いています。左手に見えるのが北ゲート(正面の入り口)です。


写真(7)北正面ゲート(North gate)
写真(8)北正面扉(North door)
写真(9) 北正面扉の装飾(Decoration of the North door)

丹念に石を磨き上げ、そしてひとつひとつの石をていねいに積み上げていった、12世紀の石工たちの心意気がそのまま伝わってくるような、そんな飾り気のない美しさが、この聖母教会の魅力だと思います。ただし北の正面ゲート(写真7)をくぐるとすぐ目に付く北扉(写真8)の周囲には、若干の装飾がほどこしてあります。単純な植物文様の繰り返しのほかに、男の顔とそのあごひげがとぐろを巻く柱頭彫刻のような、独特のスタイルの作品(写真9)がいくつか目につきます。なおこの北扉は現在は閉め切った状態で、西扉が教会の入り口として使われています。


写真(10)東からの眺め(View from the East side)
写真(11) ギャラリーの柱頭彫刻(A capitel of the gallery)

写真(10)は東から北ゲートの方向を眺めた図ですが、手前のアーチは後世に修復されたもので、柱には何の装飾もありません。しかしその奥に見えるアーチの柱頭には彫刻があり、北ゲートの周辺にだけオリジナルのロマネスク・ギャラリーが残っているらしいことをうかがせます。柱頭彫刻はだいぶ風化が進んでいますが、植物文様と怪獣などの絵柄が主体です。


写真(12)後陣を眺めた図(Apse & modillion)
写真(13)軒持ち送りの怪人面像-左(Modillion of monstrous faces-Left)
写真(14) 軒持ち送りの怪人面像-中央(Modillion of monstrous faces-Center)
写真(15) 軒持ち送りの怪人面像-右(Modillion of monstrous faces-Right)

北ゲートから左手(東方向)に向って進むと後陣に出ます。張り出した後陣の軒下に「軒持ち送り」(写真13-14-15)と呼ばれる、かなり風化した装飾がありますが、ここには怪人面が彫りつけてあります。


写真(16)教会入り口(西扉)(West door-church entrance)
写真(17)後陣(祭壇)方向の図(View of the altar)
写真(18)教会天井と8本のリブ(8 Ribs on the ceiling)

西扉(写真16)から薄暗い教会に入ると、中は数十人でいっぱいになりそうな広さです。しかし意外に天井が高いという感じがします。天井を見上げると、八角形の屋根を支える八本の四角いリブ(写真18)が目に付きますが、これはイスラム建築から学んだものだと言われます。エウナテの聖母教会は、ユニークな設計と石工のていねいな仕事ぶりで、なりは小さくとも力強い印象を与える、いかにもスペインらしいロマネスク教会です。

写真(19)エウナテで拝観記念のスタンプを捺す巡礼たち(Pilgrims at the church of Eunate)


巡礼について

先日トロントで観た映画 ''The Way'' はサンティアゴ巡礼の物語でした。主人公Tom Avery(マーティン・シーン主演)はカリフォルニアで成功した眼科医でしたが、サンティアゴ巡礼に出かけた息子がピレネー山中で遭難死したとの電話をフランス警察から受け、とるものもとりあえず遺体引き取りのためスペイン国境に近いSaint Jean Pied de Portの警察署にかけつけます。そして遺体安置所で息子のリュックを目にしたとたん、自分が息子の身代わりとなってサンティアゴ巡礼路を歩き、その遺灰を途中で撒こうという衝動にかられる、というところから話が始まります。

電話で秘書に患者のアポイントを全てキャンセルするよう伝えたあと、重いリュックを背負ってひたすら聖地に向かって歩き続けるTomの毎日を、カメラが追いかけるという内容でした。制作者の狙いは、主人公がカリフォルニアで長年に亘って築き上げた地位を投げ捨て巡礼に出ることで、いわば社会的にいちど死に、そして巡礼の行為を通じて新しいTom Averyに生まれ変わる姿を、映像を通じて描こうとしたのだろうと思います。映画としての出来ぐあいについてはいろいろ議論のある作品でしょうが、''West Wing''で大統領役を演じたマーティン・シーンが、老骨の背骨に食い込むリュックの重みに耐えながら、何か見えないものに向って挑むという感じで、口をへの字に曲げ石畳を蹴りつけるようにして歩く姿と、背景になったスペインの景色が印象的でした。

巡礼というのは、Tomのように住み慣れた土地を離れ、家族や親しい友人にも別れを告げ、異邦人としてひとり見知らぬ土地の霊場を巡り歩く、というのがもともとの姿だろうと思います。スペイン語で巡礼者をペレグリーノ(peregrino)と言いますが、その語源をたぐるとラテン語の「野を行く人」になり、そこから「故郷を離れてさすらう人」、「異邦人」というような意味が派生しているようです。

中世の巡礼は、奇蹟による病気治癒など現世利益を求める面もあったでしょうが、霊場で聖者の遺物に触れこの世で犯した罪が許され死後に魂が救われるよう、神へのとりなしを聖者に祈願して歩くものだったと思います。中世の巡礼行は過酷な旅で、途中で病気になったり亡くなる巡礼者もけっこういたようで、まさしく命がけの旅でした。

それにも関わらず、最盛期の12世紀には毎年何十万人にものぼる膨大な数の巡礼者を命がけの旅に駆り立てたと言われる、「サンティアゴへ!」というあの強烈な衝動は、奇蹟を信じることもできず、またキリスト教の贖罪の考えにもなじみの薄い私たちには、なかなか理解しがたいものがあります。

しかしピレネーの峠を越え聖地に向かう800キロの巡礼路を、足元を見つめながらただひたすら歩き続けるだけの、苦行の連続とも言えるサンティアゴ巡礼に私たちが何とも言えぬ親近感を覚えるのは、できることなら全てを打ち捨て見知らぬ土地をひとりさまよい歩きたい、という秘めた願望が誰にもあることと、そしていつかは中世の巡礼者のように、全てに別れを告げ、ただひとりあの世に向けて旅立たねばならぬ日が来る、と私たちが考えているからではないでしょうか。

(Summary in English)
The town of Puente la Reina, 25 km S.W. of Pamplona, is the important junction where various routes of El Camino de Santiago(St. James Way) will meet into one; El Camino francés(The French Way).
We visited Puente la Reina last April and saw many pilgrims crossing the famous Puente la Reina (Queen's bridge) on their way to Santiago saying ''Buen Camino!'' to each other. That's the salute of pilgrims. The Queen's bridge is of 110m long and is considered to be one of the largest 11th century Romanesque style bridges still in use in Europe. Every year about 30,000 people, pilgrims and tourists combined, cross this bridge.

The Santa María de Eunate, a tiny unique octagonal plan Romanesque church, is located at about 5 km east of Puente la Reina. It is one of the most popular churches among pilgrims in this area.
Very little is known about this church, but it is estimated to have been constructed in mid 12th century most probably as part of a large hospital for the pilgrims. An octagonal gallery circles around the church. It is rather austere in decoration but the workmanship of masonry is exemplary. Inside the church we see the 8 ribs reinforcing the octagonal shaped roof. This style is considered to be an influence of Islamic architecture.

For its form reminiscent of the Church of the Holy Sepulchre in Jerusalem, there are a lot of speculations about the origin of this church. Archaeological excavations have discovered some burials carrying the St. James' shells and the most people agree that the place of the church should have been the place of a hospital for pilgrims. It's a tiny but an impressive Romanesque church.