2010年7月18日日曜日
サンティアゴ巡礼路のロマネスク教会(1) - Spanish Romanesque Churches along ''El Camino de Santiago''(1)
スペイン全図(Map of Spain)クリックして画像拡大Click on the image to enlarge(For summary in English please see the end of this article)
ハカの大聖堂(The Cathedral of Jaca)
今年の3月から4月にかけて、フランス国境に近いハカ市からマドリッド北方のブルゴス市までの、サンティアゴ巡礼路沿いのロマネスク教会をいくつか訪ねる機会がありました。その中から特に印象に残った教会を、これから何回かに分けてご紹介しようと思います。
(Photo-1)中世の巡礼像(Medieval pilgrim in bronze)
ロマネスク教会とサンティアゴ巡礼
スペインでロマネスク様式の教会がたくさん建てられたのは、他のヨーロッパ諸国と同じく11世紀から12世紀のことですが、その同じ時期にサンティアゴ・デ・コンポステラの聖地を目指す巡礼者たちが、ヨーロッパ各地から大挙してピレネーを越えやって来るようになりました。正確な記録が残っているわけではありませんが、最盛期には20万人とも50万人とも言われるほど、とにかく膨大な数の巡礼者の集団が、毎年サンティアゴに向けて移動したと言います。
スペイン北西部のガリシア地方で、キリストにもっとも近い使徒のひとりとされる、ヤコブの遺骸が「発見」されたのは9世紀はじめのことで、サンティアゴ(聖ヤコブ)崇敬の巡礼はそのころに始まっていますが、それから200年を経てサンティアゴ巡礼熱がせきを切ったようにヨーロッパ全体に広まっていったわけです。
また11世紀は、8世紀のはじめころからイスラム勢力の支配下にあったスペインにおいて、はじめてスペイン北部のキリスト教諸侯が本格的な反攻に転じた時期でもありました。キリスト教勢力とイスラム勢力との戦いを、スペイン史ではレコンキスタ(再征服運動)と呼んでいますが、キリスト教徒軍が苦戦を重ねていた時代に、聖ヤコブ崇敬はヤコブの加護という考え方に発展し、白馬にまたがった聖ヤコブがイスラム軍を蹴散らすという類の奇跡譚が生まれます。そして聖ヤコブはスペインの守護聖人とみなされるようになりました。
キリスト教諸侯は、レコンキスタでイスラム諸王から奪い取った領土に入植をおし進める一方、自らの支配地に次々とロマネスク教会を建てていきます。教会建設は神に感謝しその栄光をたたえるためであると同時に、支配者の交代を知らしめる有効な手段でもあったわけです。
フランス国境からサンティアゴまでの800キロを越える巡礼の旅は、サンティアゴを訪ねるのが最大の目的ではありましたが、同時にその巡礼路に沿う有名な教会や修道院を訪ね、そこに納められている聖人の遺物に触れ、聖人のとりなしによって、罪のゆるしや病気の回復を願う声が聞き入れられるよう、神に祈る旅でした。フランス国境からパンプローナ、ブルゴス、レオンを経てサンティアゴにいたる巡礼路は、その途中に点在する各地の聖地をつなぐ聖地遍歴の道と見ることができます。
聖遺物に触れることで聖人の奇跡にあずかろうと、多数の人々がわれもわれもと先を争うようにして聖人の遺骸や遺品のある聖地におしよせた結果、サンティアゴ巡礼が急速に拡大したわけですが、同時にその巡礼熱がロマネスク教会やゴシック大聖堂建設の引き金にもなりました。
大聖堂を建てるには大変な費用がかかります。そして巡礼者による寄進は大事な財源のひとつでした。そんなわけで、教会の側もすこしでも多くの巡礼者をひきつけようと、いろいろ工夫をこらします。有名な聖人の遺骸や遺品のある聖地には巡礼がたくさん集まるため、それをめぐる争奪戦などもときにはあったようです。また、巡礼者の中には行く先々で仕事を見つけながら放浪に近い生活を送る者もずいぶんいました。そしてそのような巡礼者たちが、教会建設に必要な大量の未熟練労働者供給の役割を果たしたという面もあったわけです。建設機械も大型トラックもない中世では、大きな石を運びそれを積み上げてゆく作業は、人海戦術によるしかなかったからです。
サンティアゴ巡礼は9世紀ころからあったものに違いありませんが、それが11世紀にはいって急速に発展した背景には、巡礼熱がヨーロッパ全体に広がったことに加え、その受け入れ体制が整ってきたことがあります。すなわち道路、橋、宿泊場所、病人の治療施設(施療院)などが国王や地方領主、修道院などの手で整備されたこと、そしてどこでも通用する通貨が流通し始めたこと、などなどです。そしてインフラを整備して巡礼を呼び込むことは、スペインにはかり知れない大きな経済効果をもたらすことにもなったのでした。
11-12世紀すなわちロマネスクの時代は、それまでピレネーで隔たれていたスペインが、巡礼者の大挙来訪とともに北部ヨーロッパに繋がり、社会変動の大きなうねりがスペインにもやってきた時代でした。そしてそれはまた、イスラム勢力の支配がやがておわり、キリスト教勢力が再びスペインを支配するであろうことを、人々が予感し始めた時代でもありました。長いあいだ戦場だった丘で新しい教会のために石を刻む石工は、戦乱に倒れた
人たちのことを思い、平和が訪れた喜びをかみしめながら、のみをふるったことでしょう。スペインのロマネスク彫刻を見て私たちがしばしば感じる、形にとらわれないのびのびした描写、荒削りながら躍動するような生命力などは、まさしくこの時代の産物です。
(Photo-2)ハカ大聖堂の南側に面したメルカード広場(Plaza del Mercado, south side of the Cathedral)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
ハカの大聖堂
『サンティアゴ巡礼路のロマネスク教会』の第一回目は、巡礼路の重要な通過点のひとつ、ハカの大聖堂をとりあげることにします。ハカ(Jaca)市はアラゴン州北部のピレネー山脈のふもとに位置し、標高800メートル人口13,000人のこじんまりとした町です。ローマ時代からピレネー越えローマ道のスペインにおける玄関口として知られていましたが、8世紀にイスラム勢力がイベリア半島を制圧すると、早くからキリスト教徒勢力の数少ない抵抗拠点のひとつになり、11世紀にアラゴン王国が成立するとともにその首都になりました。そしてサンチョ・ラミレス(1042-1094)が、1063年に戦死した父の初代アラゴン国王(ラミロ1世)のあとを継いだころから、ハカはサンティアゴ巡礼者やオリエントの産物が、ヨーロッパとのあいだを行きかうピレネー越え交通の要所として、飛躍的な発展の時期をむかえることになります。
サンチョ・ラミレス王は、町づくりの一環としてハカ市に大聖堂を建てることに決めます。いつ建設が始まったのかその記録は残っていませんが、サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂の着工(1075年)とほぼ同じころというのが通説で、スペインでもっとも古いカテドラルのひとつです。工事はいちど中断されたあと、それから半世紀近くたった1135年ころに完成しました。しかしそのときすでにアラゴン王国の中心はハカではありませんでした。時代の流れに取り残されたいささか不運な大聖堂といえます。しかし政治の中心から外れていたからこそ、ハカ大聖堂が数少ないロマネスクのカテドラルとして残ったことに、歴史の皮肉を見る思いがします。
(Photo-3)ハカ大聖堂(南側のメルカード広場からの眺め)South view of the Cathedral of Jaca(view from the Plaza del Mercado)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
スペインの大聖堂は、いずれも13世紀から14世紀にかけて、ロマネスク様式の建物を壊したりあるいは大改装をおこない、ゴシック風に建て直したものがほとんで、ハカのようにロマネスク建築の構造がそのまま残っているカテドラルは貴重な存在と言えます。しかしハカ市がアラゴン王国の中心であった時期はわずか数十年に過ぎず、そのご長い停滞の時期が続いたためか、カテドラルの改装もつぎはぎ的なものに終始し、その結果建物としての統一性が失われることになったのは残念です。
(Photo-4)正面入り口(Portico, main entrance)クリックして画像拡大Click on the image to enlarge
(Photo-5)正面扉(Main door)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
教会の正面入り口は西向きの巨大な洞窟のようなポルチコの奥にあり、カテドラルとしてはあまりほかに例を見ない、独特の雰囲気を持っています。天井は初期ロマネスク建築の特徴である半円筒形の石天井です。
(Photo-6)正面入り口の浮き彫り(Tympanum of the main door)クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
正面扉の上の半円形の浮き彫り(この部分をタンパンと呼びます)は、キリストの頭文字のふたつXとPを組み合わせた紋章を、2頭のライオンがとり囲んでいます。ライオンはイエスの復活を象徴する動物とされており、ひじょうに象徴的な色彩の濃い絵柄です。この「キリストの銘」と呼ばれる紋章を教会入り口のタンパンに彫りこむ習慣は、その後アラゴン地方各地の教会で踏襲されることになります。
(Photo-7)教会中央部(身廊)から祭壇方向を見る(View of central altar from the nave)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
ポルチコの奥にある正面扉をあけ教会内に一歩足を踏み入れると、強い日差しになれた目には教会の中は真っ暗で、フラッシュを持たない私はあわててしまいました。田舎の教会では賽銭箱にコインを入れると数分間照明がつくことを思い出し、入り口近くにそれらしき箱があったので1ユーロ・コインを入れましたが、いっこうに照明がともる気配はなく、2ユーロ、3ユーロとつぎつぎコインを入れても暗闇のままで、どうしたらいいかと頭を抱えていたところ、通りかかった人が「それ、壊れているんです」と教えてくれました。「そんならそうと、張り紙でもしておけばいいものを」とくやしがりましたがあとの祭り。よくよく見るともうひとつ似たような箱がその隣にあったので、ポケットに残っていた1ユーロ・コインをねじ込むと、ぱっと教会内が明るくなりました。目も大分なれてきたので大急ぎでシャッターを押し続けましたが、あっという間に教会内はまたうす暗がりに戻ってしまいました。大聖堂でコイン照明とはずいぶんな節約ぶりだなと思いましたが、ハカの大聖堂は維持費のやりくりにひと知れぬ苦労があるのかもしれません。
正面にパイプオルガンや祭壇が見えますが、この部分は18世紀末の大改装ですっかりようすが変わってしまった部分です。天井は16世紀の改装でゴシック様式になりましたが、もともとは木組みの天井だったようです。11世紀スペインの建築技術では、これだけ広い天井を石組みにするには不安があったのでしょう。ロマネスク教会にはそぐわない箇所も目に付きますが、しかし教会のベンチに座り、ぶ厚い壁、どっしりとした大きな円柱、その柱頭の彫刻、アラバスター大理石張りの窓などを、薄暗がりの中でしばらく見上げていると、やっぱりこれはロマネスクの大聖堂だなとしみじみ思います。写真-7は身廊(入り口から祭壇の手前あたりまで)に焦点をあわせていますが、この身廊の左右には平行して側廊と呼ばれる部分があり、ロマネスク教会でおなじみの三廊構成になっています。
(Photo-8)身廊と翼廊の交差部分(Intersection of nave and transept) クリックして画像拡大Click on the image to enlarge
(Photo-9)円蓋(Dome)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
ふつう教会の平面図を見ると十字架形をしたものが多く、十字架の下半分にあたるのが身廊で、それと直角に交わる水平部分を翼廊と呼びます。そして身廊と翼廊が交差するいわば十字架のかなめの部分を半円形の石天井にするのが、ロマネスク教会でよく目にする構造です。ハカ大聖堂は典型的な十字架形ではありませんが、身廊と翼廊が交差する箇所は切り石を積み重ねた8辺のドーム状の円蓋に仕上げ、4本のアーチで下から補強してあります。この円蓋はスペインのロマネスク教会ではもっとも古いものとされ、ロマネスク建築の教科書でよく紹介されるものです。
(Photo-10)南の後陣(South apse, view from south isle) (クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
この写真は、右の側廊から南の後陣の方向を眺めたものですが、突き当たりに窓がありその手前に祭壇をそなえた小さな礼拝堂が見えます。祭壇から祭壇のうしろが外に向かって半円形に突き出している部分を後陣またはアプスと呼びますが、この南の後陣のあたりが、教会創建当時の姿をよく伝えるものとされています。
(Photo-11)南入り口の柱廊玄関(South portico facing the Plaza del Mercado)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
(Photo-12)南扉(South door)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
教会の入り口にはもうひとつ、メルカード広場に面した南扉があり、17世紀に扉の前に写真のような柱廊玄関が設けられました。いまは取り壊されてしまったロマネスク時代の回廊の石柱を再利用したもので、7本の柱頭にそれぞれ彫刻がほどこしてあります。中でもこの南扉の右手の石柱に彫りこんである、旧約聖書「イサクの犠牲」を題材にした柱頭彫刻が有名です。
(Photo-13)イサクの犠牲の柱頭彫刻(Capital of Sacrifice of Isaac)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
Photo-14)アブラハムとイサク(Abraham and Isaac)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
旧約聖書『創世記』にある、アブラハムが、ひとり息子のイサクを犠牲にせよとの神の命に従い、今にも刃をふりおろそうとした瞬間、天使が現れアブラハムの手をおさえた、という話に題材をとり、わずか数十センチの柱頭のスペースにその場面を刻み込んだものです。作者についての記録がまったく残っていないため、マエストロ・デ・ハカと呼ばれている石工の作品ですが、このほかにも同じ作者の彫刻と判断される作品がいくつか近郊の教会で見つかっており、腕のよい石工だったことがうかがわれます。ロマネスクの時代は、優秀な石工は彫刻家であり、場合によっては建築家でもありました。
この「イサクの犠牲」はたいへん劇的な場面でありながら、聖書にはイサクの年齢その他につき詳しい記述がないため、ラファエロ、カラヴァッジオ、レンブラント、シャガールなど、数多くの古今の画家がそれぞれの解釈でこの場面を描いています。マエストロ・デ・ハカの作品は、イサクの脚の筋肉のつきぐあいなどから、少年というより若者に近いように見えます。
(Photo-15)中央の後陣外観(Central apse) (クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
これは中央祭壇のうしろが半円形に張り出した部分、すなわち中央の後陣を外から見た写真です。18世紀末の祭壇部分の拡張工事でロマネスク様式の後陣が取り壊され、その建材を一部は活用したものの、創建時の後陣とは似ても似つかぬかたちに改装されてしまいました。担当した建築家の見識を疑いたくなりますが、施工者(教会幹部)が実用一点張りの無茶な注文をつけた結果なのかも知れません。
(Photo-16) 南の後陣外観(South apse)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
写真(16)は南の後陣を外から見た写真です。となりの中央後陣に押し潰されそうな感じですが、創建時からのロマネスク様式を保つその端正な姿は魅力的です。近くでよく見ると窓のまわりや軒したに紋章や動物の絵柄が彫り込んであります。
(Photo-17)南後陣の軒した部分拡大像(Cornice of the south apse)(クリックして画像拡大Click on the image to enlarge)
写真17は、南の後陣の軒を支えているように見える、「軒持ち送り」といわれる装飾部分を中心に拡大した写真です。風化がはげしく下から見上げるだけでは、なにかの動物が彫ってあるということしか分かりません。軒や窓の周辺には、長方形の切り餅をならべたような装飾が施されていますが、これはハカのチェス模様、ハカのサイコロ模様などと呼ばれるハカ大聖堂特有の模様です。
今回このBlog記事を書きながら、自分で撮った写真をゆっくり見直してみて感じるのは、ハカ大聖堂はロマネスク様式の構造が期せずして残ったユニークなカテドラルだ、ということです。もしハカ市がずっと長いあいだアラゴン王国の中心でありつづけたら、たぶんロマネスクの古い建物は壊され、ゴシックやさらにはバロック風の装飾過多の大聖堂になっていただろう、という気がします。今回ハカを訪問して、教会の予算がかぎられており、聖堂の補修も思うにまかせないのが実情かもしれないとの印象を受けましたが、独特の雰囲気を持つハカのロマネスク大聖堂が、こんごとも長生きしてほしいものと願っています。
ところで、聖ヤコブ殉教の日である7月25日が日曜日にあたる年は、サンティアゴ教会の聖年と定められており、ことし2010年はその聖年にあたります。最近はサンティアゴ巡礼者が毎年増える傾向にあること、そして聖年にはとくにそれが急増するため、ことしは前回の聖年(2004年)に記録した巡礼者数18万人を上回り、20万人をこえる巡礼者がサンティアゴを訪れるのではないかと見られます。なおこの数字はサンティアゴ教会で巡礼としての証明を受けた人のみを指しており、観光・商用目的などでサンティアゴを訪れる人の数は、1,000万人という膨大な数字になるそうです。
(Summary of the article)
During the last March and April I had a chance to visit several Romanesque churches along the pilgrimage route in northern Spain called ''El Camino de Santiago, or The Way of St James ''.
El Camino de Santiago has been registered in the UNESCO's World Heritage List since 1993.
In several articles of this Blog I'll introduce some of the churches which have impressed me most.
''El Camino de Santiago''
The Way of St James, is a collection of old pilgrimage routes which cover all Europe with Santiago de Compostela as final destination. The legend says that in early 9th century the remains of Saint James(Santiago in Spanish) were discovered in Galicia, north western region of Spain. The locals started pilgrimage to Santiago more than 1,000 years ago, but it got a big boost during 11th century and further during 12th and 13th century at the time of the Crusades. Pilgrims from all over Europe, mostly French, started arriving Santiago in hundreds of thousands crossing the Pyrenees every year.
Many Romanesque churches and monasteries were constructed in Spain during that time along the 800 km pilgrimage route which stretches from French border to Santiago.
The 11th century was also the time when Christian lords of northern Spain started effective counter attacks against Muslim rulers who had occupied most part of Iberian Peninsula since 8th century. The movement by Christian lords to regain lost territory to Muslims is called ''Reconquista'', which lasted 7 centuries. During the course of the ''Reconquista'' adoration of Santiago created an image of the Saint as guardian of Christian Spain who would bring the victory in the war against Muslims. Santiago later became the Gurdian Saint of Spain. During 11th and 12 century Christian lords also constructed many Romanesque churches in territories which they had regained through the Reconquista. It was for the glory of the Lord but it also served to show the change of rulers in the recaptured land.
In Spain 11th and 12th century Romanesque era was the time of great changes.
The Catheral of Jaca
The Cathedral of Jaca is the first of the Blog articles series titled ''Romanesque churches along the route of El Camino de Santiago''. The city of Jaca is located in the highland of northern Aragon region. With 30 km from French border across the Central Pyrenees Jaca has been an important strategic point since the Roman era.
With the creation of Aragon Kingdom in 11th century Jaca became its capital and the King Sancho Ramirez(reign 1063-1094) who succeeded his father, the first king, decided to construct a new cathedral. The start of the construction is believed to be at the same period of the cathedral of Santiago(1075). The Romanesque cathedral of Jaca is one of the oldest cathedrals in Spain. It's also one of the few cathedrals which keep Romanesque structure, while most of the Spanish cathedrals have been reconstructed or reformed in Gothic style during 13-15th centuries
Photo 4) & 5)show the huge cave-like portico with the main church door at the end of it. The ceiling of the portico is of barrel vault which is common among early Romanesque churches.
Photo 6)The tympanum above the main door is decorated with a crest symbolising the Christ(combination of letters P & X) which is surrounded by 2 lions. This pattern are often found in other churches of Aragon region.
Photo 7) Once inside the church it was very dark. A coin operating light switch box which,I thought it was, was found next to me. With 1 euro coin inside the box nothing happened. With the 2nd and the 3rd coin the same. When I was becoming desperate, someone passed by and told me that the switch box had been out of service! Quickly found another box and tossed the last euro coin in it, then the church was illuminated. After shooting frantically as quick as I could, maybe for a few minutes, the light went off once again.
The photo 7) shows that the main altar area has suffered significant changes by the reform of late 18th century. The Romaneque style central apse was expanded to make room for a choir with Baroque decoration.
Photo 8) & 9) show the famous dome of Jaca, the oldest Romanesqe cupola in Spain. This dome is cited in many books on Romanesque churches.
Photo 10) is the view of the south apse shot from the isle. The apse has a small altar and it keeps original Romanesque style.
Photo 11 & 12)The church has another door on the south side facing the Plaza del Mercado. The portico on the photo was constructed in 17th century using old columns taken out of the Romanesque corridor of the cathedral which had already been a ruin at that time. The door keeps original decoration except for the tympanum which has apparently lost a part of original carving during later repairs.
Photo 13, 14)The most famous is the capital called ''Sacrifice of Isaac'' which is part of a column attached to the right side of the south door. The story comes from the Genesis 22:1-24 (Hebrew Bible) in which Abraham raised a knife to sacrifice his only son Isaac obeying the God's order, when an angel appeared and held Abraham's hand.The carver is called ''Maestro de Jaca'', because nothing is known of him. It's one of the master pieces of Maestro de Jaca.
Photo 15) is the outside view of the central apse which was reformed in late 18th century. This unusually huge central apse unfortunately remains out of proportion in relation to the rest of the church.
Photo 16)The external view of the beautiful south apse which retains the original shape of Romanesque era. The south apse gives us an idea how it should have been the original central apse. It's unfortunate that the Romanesque central apse has disappeared. The north apse has remained in ruin for some time.
Photo 17) is a close up of the cornice area of the south apse. Modillions are all worn and looking from the ground we can only tell that figures of animals are carved. Cornices and windows are decorated with small square shaped stones. This is called chess or dice pattern of Jaca.
Whenever St James's day (25th July) falls on a Sunday, the cathedral of Santiago de Compostela declares it a Holy Year. Consequently 2010 is the Holy Year. The Holy Years fall every 5 up to 11 years: the most recent one was 2004 when 180,000 pilgrims were certified by the Cathedral. Since the number of pilgrims are increasing every year, it is expected 2010 will surely break the record of 2004.
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