(For summary in English please see the end of this article)
「スペインロマネスクの旅」について
ロマネスク時代は11世紀と12世紀で、13世紀はゴシックの時代とよく言われます。しかしそれはピレネー以北の話で、スペインの場合は、13世紀に入ってもまだ引き続きロマネスク様式の教会がたくさん建てられていることから、私はスペインのロマネスクは13世紀の半ば頃まで、と考えています。
それはまた、サンティアゴ巡礼が急激に伸び、レコンキスタ(「再征服運動」すなわち対イスラム戦)が大きな進展を見せた時期であり、そしてヨーロッパ全体を見れば十字軍の時代でもありました。
3年前に「カタルーニャのロマネスク教会」というタイトルで、バルセローナ近辺の教会を紹介しようと、気軽な気持ちで写真入りBlog記事を書いたのが、その始まりでした。そして、バルセローナの友人たちの案内であちらこちらの教会や修道院跡を訪ね回っているうちに、いつの間にかロマネスクの不思議な魅力のとりこになってしまったわけです。
昨年の春、アラゴン地方とカスティーリャ地方の修道院や教会を訪ね、ロマネスク様式はずいぶん地方色ゆたかなものであること、そしてスペインロマネスクの歴史と、レコンキスタやサンティアゴ巡礼の歴史とは、からみあった糸のように切り離せないものであることに、改めて気づかされました。
「スペインロマネスクの旅」シリーズは、「サンティアゴ巡礼路のロマネスク教会」に続くもので、サンティアゴ・デ・コンポステーラを旅の最終目的地とすることに変わりはありません。
3年前に「カタルーニャのロマネスク教会」というタイトルで、バルセローナ近辺の教会を紹介しようと、気軽な気持ちで写真入りBlog記事を書いたのが、その始まりでした。そして、バルセローナの友人たちの案内であちらこちらの教会や修道院跡を訪ね回っているうちに、いつの間にかロマネスクの不思議な魅力のとりこになってしまったわけです。
昨年の春、アラゴン地方とカスティーリャ地方の修道院や教会を訪ね、ロマネスク様式はずいぶん地方色ゆたかなものであること、そしてスペインロマネスクの歴史と、レコンキスタやサンティアゴ巡礼の歴史とは、からみあった糸のように切り離せないものであることに、改めて気づかされました。
「スペインロマネスクの旅」シリーズは、「サンティアゴ巡礼路のロマネスク教会」に続くもので、サンティアゴ・デ・コンポステーラを旅の最終目的地とすることに変わりはありません。
しかし、中世のサンティアゴ巡礼が、ただひたすら先を急ぐだけの旅ではなく、霊験あらたかとされる霊場があれば、巡礼者たちは回り道をすることもいとわなかったように、私のスペインロマネスクの旅も、ときどきわき道にそれたりしながら、スペイン各地の霊場をゆっくり巡る旅にしようと考えています。
[サンフアン・デ・ドゥエロ修道院] (Monastery of San Juan de Duero)
修道院の所在地ソリア(Soria)
マドリッドの北東に位置するソリア県は、新潟県に匹敵する1万平方キロの面積に、10万人に満たない人が住むスペイン一の過疎地帯です。しかし、イベリア半島を縦断しポルトガルのポルトに至る、全長800キロに及ぶスペイン第二の大河、ドゥエロ河の水源にあたるこの地域は、ローマ時代から戦略上の重要拠点のひとつでした。そしてレコンキスタにおいても、ソリアはキリスト教徒勢力とイスラム勢力とが、ドゥエロ河をはさんで激戦を繰り返した場所です。
ソリア市はマドリッドから230キロ、人口4万人のこじんまりとした県都ですが、海抜1,000メートルの高地にあるため、冬は寒さの厳しいことで有名です。ソリア地方を訪ねたのは昨年3月半ばでしたが、季節はずれの大寒波に襲われ、スペイン旅行だからと軽装で出かけた私たちは、ほんとうに震え上がってしまいました。
1)ソリア市遠望(City of Soria)
2)ドゥエロ河にかかる橋(The Duero river)
ソリアの旧市街をぬけドゥエロ河にかかる橋を渡った対岸に、サンフアン・デ・ドゥエロ(ドゥエロの聖ヨハネ)修道院があります。ほとんど何も記録は残っていませんが、12世紀末から13世紀の初めころ、聖ヨハネ騎士修道会が建てた修道院だとされています。巡礼者用の病院なども併設されていたようですが、現在残っているのは教会と回廊部分のみ。
19)東アーチ列(East view)
20)東アーチ(East arches)
21)北東の角のアーチ(N.E. corner arch)
柱頭彫刻(Capitals)
回廊の柱頭彫刻には動物、植物、組紐などの文様が採用されていますが、いずれも文様としての起源は古いものばかりです。組紐文様もアーチの連続と同じく、終わりのない永遠のもの、すなわち神聖なる存在を象徴する文様とされています。
22)植物文様(Vegetable pattern)
23)組紐文様(Twine pattern)
24)アカンサス(葉アザミ)文様(Acanthus pattern)
サンフアン・デ・ドゥエロ修道院の回廊は、屋根もなく廊下もなく、ましてや名工の手になる彫刻があるわけでもありません。
[サンフアン・デ・ドゥエロ修道院] (Monastery of San Juan de Duero)
修道院の所在地ソリア(Soria)
マドリッドの北東に位置するソリア県は、新潟県に匹敵する1万平方キロの面積に、10万人に満たない人が住むスペイン一の過疎地帯です。しかし、イベリア半島を縦断しポルトガルのポルトに至る、全長800キロに及ぶスペイン第二の大河、ドゥエロ河の水源にあたるこの地域は、ローマ時代から戦略上の重要拠点のひとつでした。そしてレコンキスタにおいても、ソリアはキリスト教徒勢力とイスラム勢力とが、ドゥエロ河をはさんで激戦を繰り返した場所です。
ソリア市はマドリッドから230キロ、人口4万人のこじんまりとした県都ですが、海抜1,000メートルの高地にあるため、冬は寒さの厳しいことで有名です。ソリア地方を訪ねたのは昨年3月半ばでしたが、季節はずれの大寒波に襲われ、スペイン旅行だからと軽装で出かけた私たちは、ほんとうに震え上がってしまいました。
1)ソリア市遠望(City of Soria)
2)ドゥエロ河にかかる橋(The Duero river)
ソリアの旧市街をぬけドゥエロ河にかかる橋を渡った対岸に、サンフアン・デ・ドゥエロ(ドゥエロの聖ヨハネ)修道院があります。ほとんど何も記録は残っていませんが、12世紀末から13世紀の初めころ、聖ヨハネ騎士修道会が建てた修道院だとされています。巡礼者用の病院なども併設されていたようですが、現在残っているのは教会と回廊部分のみ。
サンフアン・デ・ドゥエロ修道院の回廊は、スペイン・ロマネスクの本には必ず登場するほど有名で、ソリア市の観光名所のひとつでもあります。
3)サンフアン・デ・ドゥエロ修道院全景(San Juan de Duero monastery)
4)修道院への道(The road to the monastery)
修道院教会(Church of the monastery)
教会に一歩足を踏み入れたときの印象は、まるで洞窟という感じです。天井近くの左右の壁と正面奥の後陣にごく小さな明りとりの窓があり、祭壇のあたりには人工照明も配置してありますが、それでも教会の中はうす暗く、カメラのISO感度を目いっぱい上げて何とか写真が撮れるという状態でした。
祭壇までの部分(身廊)は20メートル足らず、ほとんど装飾らしいものもない、小さなごく質素な教会ですが、主祭壇の手前に天蓋つきの小祭壇を左右に設けるという構成は、スペインのロマネスク教会ではあまりお目にかからない実に珍しいものです。東方のビザンティン教会やモスクなどを思わせる、特異な雰囲気をかもし出しています。
十字軍に参加したヨハネ騎士団の修道士たちが、東方で目にした建築のスタイルを取り入れたものであろう、という説があります。
5)修道院教会内部(Interior of the church)
6)小祭壇(Shrines)
小祭壇の柱頭彫刻(Capitals of the little shrines)
ロマネスク建築は、素材は近くで手にはいるものを工夫して使いこなすしかなかった時代のものです。硬かったりもろかったり、細工の難しい地場の石に取り組む石工は、しだいに大胆に細部を省く表現に活路を見い出していきます。サンフアン・デ・ドゥエロの柱頭彫刻も地場の石を素材に使ったもので、繊細な象牙細工のような彫刻というものではありませんが、忘れがたい独特の作品がいくつかあります。
向って右側の小祭壇の柱頭に彫り付けてある、聖書の有名な場面のいくつかをご紹介します。
7)イエスの誕生(The Birth of Jesus)
8)エジプトへの避難(The Flee to Egypt)
9)幼児殺戮(The Killing of Children)
イエス誕生の噂を耳にしたユダヤ王ヘロデが、ベツレヘムの二歳以下の幼児をすべて殺害するよう命じた、という聖書の物語を題材にしたもの。兵士の手から赤ん坊を守ろうとする母親、剣を振り上げたヘロデ王らしき人物の腕に、必死にとりすがる老婆の姿など。
10)洗礼者ヨハネの死(the Death of John the Baptist)
ヘロデ・アンティパスが、妻ヘロディアに言い含められた娘の望みをかなえるため、洗礼者ヨハネの首をはねさせた、という聖書の物語。しゃっちょこばった兵士、黙想中とも見えるヨハネの死顔、恐れおののく娘と平然と見守るヘロディアなど、写実とは縁のない描写ながら登場人物を的確に描き出しています。深刻な題材を扱いながらどこか戯画風的なのも、ロマネスク彫刻のひとつ特徴。
11)半鷲・半獅子の怪獣(the Griffin)
これは左側の小祭壇にある、鷲と獅子が合体した怪獣(グリフィン)の柱頭彫刻ですが、本来は獅子であるべき顔が人間になっています。あるいは修道院長の似顔だったかも知れない、などと想像してしまいます。こんな遊び心がロマネスクの楽しいところです。
回廊(Cloister)
サンフアン・デ・ドゥエロ修道院の回廊は、屋根が失われ一見廃墟のように見えます。
3)サンフアン・デ・ドゥエロ修道院全景(San Juan de Duero monastery)
4)修道院への道(The road to the monastery)
修道院教会(Church of the monastery)
教会に一歩足を踏み入れたときの印象は、まるで洞窟という感じです。天井近くの左右の壁と正面奥の後陣にごく小さな明りとりの窓があり、祭壇のあたりには人工照明も配置してありますが、それでも教会の中はうす暗く、カメラのISO感度を目いっぱい上げて何とか写真が撮れるという状態でした。
祭壇までの部分(身廊)は20メートル足らず、ほとんど装飾らしいものもない、小さなごく質素な教会ですが、主祭壇の手前に天蓋つきの小祭壇を左右に設けるという構成は、スペインのロマネスク教会ではあまりお目にかからない実に珍しいものです。東方のビザンティン教会やモスクなどを思わせる、特異な雰囲気をかもし出しています。
十字軍に参加したヨハネ騎士団の修道士たちが、東方で目にした建築のスタイルを取り入れたものであろう、という説があります。
5)修道院教会内部(Interior of the church)
6)小祭壇(Shrines)
小祭壇の柱頭彫刻(Capitals of the little shrines)
ロマネスク建築は、素材は近くで手にはいるものを工夫して使いこなすしかなかった時代のものです。硬かったりもろかったり、細工の難しい地場の石に取り組む石工は、しだいに大胆に細部を省く表現に活路を見い出していきます。サンフアン・デ・ドゥエロの柱頭彫刻も地場の石を素材に使ったもので、繊細な象牙細工のような彫刻というものではありませんが、忘れがたい独特の作品がいくつかあります。
向って右側の小祭壇の柱頭に彫り付けてある、聖書の有名な場面のいくつかをご紹介します。
7)イエスの誕生(The Birth of Jesus)
8)エジプトへの避難(The Flee to Egypt)
9)幼児殺戮(The Killing of Children)
イエス誕生の噂を耳にしたユダヤ王ヘロデが、ベツレヘムの二歳以下の幼児をすべて殺害するよう命じた、という聖書の物語を題材にしたもの。兵士の手から赤ん坊を守ろうとする母親、剣を振り上げたヘロデ王らしき人物の腕に、必死にとりすがる老婆の姿など。
10)洗礼者ヨハネの死(the Death of John the Baptist)
ヘロデ・アンティパスが、妻ヘロディアに言い含められた娘の望みをかなえるため、洗礼者ヨハネの首をはねさせた、という聖書の物語。しゃっちょこばった兵士、黙想中とも見えるヨハネの死顔、恐れおののく娘と平然と見守るヘロディアなど、写実とは縁のない描写ながら登場人物を的確に描き出しています。深刻な題材を扱いながらどこか戯画風的なのも、ロマネスク彫刻のひとつ特徴。
11)半鷲・半獅子の怪獣(the Griffin)
これは左側の小祭壇にある、鷲と獅子が合体した怪獣(グリフィン)の柱頭彫刻ですが、本来は獅子であるべき顔が人間になっています。あるいは修道院長の似顔だったかも知れない、などと想像してしまいます。こんな遊び心がロマネスクの楽しいところです。
回廊(Cloister)
サンフアン・デ・ドゥエロ修道院の回廊は、屋根が失われ一見廃墟のように見えます。
うす暗い教会から青空の下にある回廊に出た、ということもあるのでしょうが、まぶしい陽光になれた目にも、やはりサンフアン・デ・ドゥエロ修道院の回廊は明るいな、というのが第一印象でした。
12)回廊全景(The entire view of the cloister)
右に見える建物が教会で、方角は右手が北、正面が西。そしてその先の回廊の壁ごしに、ドゥエロ河の岸辺が見えています。回廊の柱頭には動物文様や植物文様が彫りこまれていますが、何と言っても主役はつぎつぎに変化していく四種類のアーチ列でしょう。教会の壁に近い北西の角から、時計の逆回り方向に回廊を見ていくことにします。
13)北西方向から見る(N.W. view of the cloister)
14)西のアーチ列(West arches)
15)西アーチ拡大図(Close up of the West arch)
アーチが交差しながらえんえんと続くのは、無限に続くもの、永遠の存在すなわち神を象徴するもの、という見方があります。イスラムの宗教美術においても、同じ文様を繰り返すのは、やはり無限の存在である神を表すものだと言います。
この特異な回廊のアイデアがどこから生まれたのかについては、いろいろ議論のあるところです。ヨハネ騎士団が東方からもたらした、イスラム建築にくわしいトレードの工人が手がけた、ノルマン騎士によるシシリー王国の様式の移入ではないか、などなど諸説があります。そしていずれの説にも共通しているのは、イスラムの影響が大きいと認めている点です。
16)南西の角から見る(View from the S.W. corner)
17)南のアーチ列(South arches)
18)南アーチ(South arches)
修道院は回廊を中心にそのまわりに居住区その他を配置して構成されます。町づくりで言えば回廊は町の中心をなす広場にあたるわけです。
12)回廊全景(The entire view of the cloister)
右に見える建物が教会で、方角は右手が北、正面が西。そしてその先の回廊の壁ごしに、ドゥエロ河の岸辺が見えています。回廊の柱頭には動物文様や植物文様が彫りこまれていますが、何と言っても主役はつぎつぎに変化していく四種類のアーチ列でしょう。教会の壁に近い北西の角から、時計の逆回り方向に回廊を見ていくことにします。
13)北西方向から見る(N.W. view of the cloister)
14)西のアーチ列(West arches)
15)西アーチ拡大図(Close up of the West arch)
アーチが交差しながらえんえんと続くのは、無限に続くもの、永遠の存在すなわち神を象徴するもの、という見方があります。イスラムの宗教美術においても、同じ文様を繰り返すのは、やはり無限の存在である神を表すものだと言います。
この特異な回廊のアイデアがどこから生まれたのかについては、いろいろ議論のあるところです。ヨハネ騎士団が東方からもたらした、イスラム建築にくわしいトレードの工人が手がけた、ノルマン騎士によるシシリー王国の様式の移入ではないか、などなど諸説があります。そしていずれの説にも共通しているのは、イスラムの影響が大きいと認めている点です。
16)南西の角から見る(View from the S.W. corner)
17)南のアーチ列(South arches)
18)南アーチ(South arches)
修道院は回廊を中心にそのまわりに居住区その他を配置して構成されます。町づくりで言えば回廊は町の中心をなす広場にあたるわけです。
回廊の建設を手がけたのは、トレードあたりから招聘したイスラム建築を熟知する工人だったのでしょうが、これだけ特異な回廊を構想したのは、ひょっとすると十字軍に参加した聖ヨハネ騎士団の老修道院長、イスラム文化に触れ、その質の高さに感銘を受けた経験を持つ人ではなかったか、などと私は想像するわけです。
19)東アーチ列(East view)
20)東アーチ(East arches)
21)北東の角のアーチ(N.E. corner arch)
柱頭彫刻(Capitals)
回廊の柱頭彫刻には動物、植物、組紐などの文様が採用されていますが、いずれも文様としての起源は古いものばかりです。組紐文様もアーチの連続と同じく、終わりのない永遠のもの、すなわち神聖なる存在を象徴する文様とされています。
22)植物文様(Vegetable pattern)
24)アカンサス(葉アザミ)文様(Acanthus pattern)
サンフアン・デ・ドゥエロ修道院の回廊は、屋根もなく廊下もなく、ましてや名工の手になる彫刻があるわけでもありません。
そこにあるのは、見る者を圧倒するような美の対極にある、人の心を落ち着かせ、内省にさそう静けさです。
もし椅子があれば、何時間でもじっと座っていたくなるような、そんな気持ちにさせる回廊でした。
(Summary in English)
This is the first of the new series of articles titled ''Romanesque Churches in Spain'' which is the continuation of the ''Romanesque Churches along the Camino de Santiago''. The first of the series will be about the San Juan de Duero monastery in Soria.
The city of Soria is located at 230 km North East of Madrid. It's a small provincial capital by the river Duero with the population of 40,000. The river Duero, number 2 longest river in Spain with 800 km to Port(Portugal), originates in the province of Soria. The area along the river was a battle field during the Reconquista(war against Islam rulers in Spain) where heavy battles were fought among Christians and Moslems.
The monastery of San Juan de Duero(St. John of Duero) was supposedly founded by the Knights of St. John during late 12 century to early 13th century. The monastery is located across the Duero river and close to the bridge. The monastery was abandoned in 18th century and only the church and the cloister now remain. The very unique cloister with Islamic influence is the most famous of the monastery, although it appears like a ruin with the roof disappeared long time ago.
The church is small but also unique with two small shrines added in front of the main altar. The church is of Romanesque but it reminds us of a Byzantine church. The capitals are decorated with stories of the New Testament and some mystic animals such as Griffin. They are not up to the quality of the Santo Domingo de Silos monastery, but still there are some impressive pieces.
Cloister is composed of four different style of arches. The chain of same shaped arches is supposed to symbolize the infinite, as a consequence, the God. There is no tall bell tower nor impressive stained glasses, but there is a very unique and peaceful cloister at San Juan de Duero.
(Summary in English)
This is the first of the new series of articles titled ''Romanesque Churches in Spain'' which is the continuation of the ''Romanesque Churches along the Camino de Santiago''. The first of the series will be about the San Juan de Duero monastery in Soria.
The city of Soria is located at 230 km North East of Madrid. It's a small provincial capital by the river Duero with the population of 40,000. The river Duero, number 2 longest river in Spain with 800 km to Port(Portugal), originates in the province of Soria. The area along the river was a battle field during the Reconquista(war against Islam rulers in Spain) where heavy battles were fought among Christians and Moslems.
The monastery of San Juan de Duero(St. John of Duero) was supposedly founded by the Knights of St. John during late 12 century to early 13th century. The monastery is located across the Duero river and close to the bridge. The monastery was abandoned in 18th century and only the church and the cloister now remain. The very unique cloister with Islamic influence is the most famous of the monastery, although it appears like a ruin with the roof disappeared long time ago.
The church is small but also unique with two small shrines added in front of the main altar. The church is of Romanesque but it reminds us of a Byzantine church. The capitals are decorated with stories of the New Testament and some mystic animals such as Griffin. They are not up to the quality of the Santo Domingo de Silos monastery, but still there are some impressive pieces.
Cloister is composed of four different style of arches. The chain of same shaped arches is supposed to symbolize the infinite, as a consequence, the God. There is no tall bell tower nor impressive stained glasses, but there is a very unique and peaceful cloister at San Juan de Duero.