2011年12月26日月曜日

スペインロマネスクの旅(4) ピレネー山麓セラブロの教会群(Romanesque Churches of Serrablo)

セラブロの教会群(Romanesque Churches of Serrablo)




フランス国境Formigalのスキー場(Ski slope at Formigal, French border)
Photo(1)ガリェゴ川上流の貯水池(Gállego River-reservoir)
Photo(2)ガリェゴ川(Gállego River)


セラブロの教会群(Churches of Serrablo,Huesca)

標高2,000米を越えるピレネー山中に水源を持つガリェゴ川は、フランスと国境を接するアラゴン州の北部 をゆっくり蛇行しながら、州都サラゴサ市の近くでエブロ川に注ぐ全長215kmにわたる川ですが、このガリェゴ川の上流にセラブロ(Serrablo)と呼ばれる地域があります。セラブロは、ガリェゴ川沿い40 kmの範囲内に10数ヶ所の小さなロマネスク教会が集中しているので有名な場所です。

げんざい私たちが「セラブロの教会群」と呼んでいるものは、そのほとんどが1970年代から地場のボランティア団体「セラブロ友の会」(Amigos de Serrablo)のメンバーが、週末などを利用してこつこつと修復してきた初期ロマネスク建築の礼拝堂が大半を占めています。17か所とされるセラブロの教会群のうち、じっさいに私が訪ねることのできたガリェゴ川沿いの5箇所の教会を、北から順にご紹介しようと思います。


歴史的背景
8世紀初めにほぼイベリア半島全土を制圧した、コルドバを首都とするイスラム勢力(ウマイア朝)は、サラゴサを中心にエブロ川流域からピレネーに至る一帯を上部辺境領と定め、サラゴサに太守をおきアラゴン州の大半とカタルーニャ州の一部を統治する体制をとっていました。いっぽう当初はピレネーの山岳地帯に追いつめられていたアラゴン地方のキリスト教徒勢力も、10世紀にはいると徐々に反攻に転じ、レコンキスタ(再征服運動)の大義名分を掲げてイスラム辺境領の侵食を開始します。そして、その過程で新しく支配地になったガリェゴ川上流地帯を領地として確保するため、入植を進めていきました。入植を担ったのは、隣国ナバラやアラゴンのキリスト教徒、そしてそれまでイスラム勢力の支配地に住んでいたキリスト教徒たちでした。イスラム支配下に住むキリスト教徒をモサラベ(mozárabe)と呼びますが、モサラベの中には当時の先進文化であるイスラムの建築や装飾の技能を身につけた者が多く、彼らはスペイン・ロマネスクに先立つモサラベ様式の建築・装飾の担い手でもありました。

そんな時代、すなわち10世紀半ばころから「セラブロの教会群」の通称を持つ小さな教会が、入植地につぎつぎと建てられていったと考えられています。ただしこれには異論があり、これら小教会群の建設時期は11世紀後半以降であるとする意見も根強く、研究者の間で意見が分かれている状態です。

ということで、私は「セラブロの教会群は、10世紀半ばに始まり足がけ2世紀にわたる長い期間に建てられた、プレロマネスクと初期ロマネスク様式が混在する教会群である」という説に従うことにします。なお「モサラベ様式」についてもいろいろ意見がありますが、ここでは「イスラム文化の影響を強く受けた、ロマネスクに先立つ10世紀ころのイベリア半島の美術・建築様式」と理解しておきます。


1) フォルミガル(バサラン)の礼拝堂(Church of Basarán at Formigal)


Photo(3) バサランの礼拝堂後陣(Church of Basarán at Formigal-Apse side)
Photo(4) バサランの礼拝堂北面(Church of Basarán at Formigal - North view)

一番北に位置しているのがフォルミガル(Formigal)町の礼拝堂です。Formigalはフランスとの国境にある標高1600mのスキー場としてこのところ発展を続けている町ですが、1970年代初めに30kmばかり南のバサラン(Basarán)にあった小さなロマネスクの礼拝堂を解体のうえ移転して復元し、町づくりの目玉にしました。もともと存在しなかった鐘塔を新たに付け加えたりした部分を除けば、おおむね正確な復元と見ていいようです。商業化の波に乗せられたのではないかとの批判があるかも知れませんが、崩れ落ちそうな古い教会には誰も目を向けようとしなかった時代に、ロマネスク礼拝堂を復元し後世に残しておこうとした試みのひとつ、と私は受け取っています。


2) ガビンの聖バルトロマイ教会(Curch of San Bartolomé at Gavín)


Photo(5)西からの図(West view)
Photo(6)拡大図(West side close view)
Photo(7)南からの図(South side)
Photo(8)鐘塔拡大図(Bell tower - Mozarabe style)

ガビン(Gavín)は人口100人足らずの集落ですが、聖バルトロマイ教会は、集落から少しはなれた谷あいのわずかな平地を利用して建てられていて、セラブロの教会群の中ではもっとも古いものに属する教会です。セラブロの教会群の建設時期に関してはいろいろ説が分かれていますが、ここでは「聖バルトロマイ教会は10世紀半ば頃のモサラベ様式の建築」との説に従っておきます。

この教会をロマネスクに先だつモサラベ建築と見なす根拠は、鐘塔と後陣の形やその装飾が、イスラム建築や西ゴート王国時代(6-8世紀)の建築の影響を強く受けている点にあります。鐘塔はミナレット(モスクに付随した塔)を思わせるところがあり、また後陣(教会の右手側、写真(7)参照)の形が四角であるのは、西ゴート王国時代の教会建築の特徴であること(ロマネスクでは、後陣は半円形に外に向けて張り出すのがふつう)。などなどの点をあげ、聖バルトロマイ教会はスペイン・ロマネスクに先立つ10世紀のモサラベ様式の建築であると見なすわけです。

確かにこの教会の鐘塔をじっと眺めていると、馬蹄形アーチの三連窓とその下に日輪をかたどったらしい装飾が、塔の四面それぞれに施してあるのが目をひきます。私たちがふだん見慣れたロマネスクとはだいぶ違う、とつくづく思います。あとでいろいろ修復・改修の手が入っていることもあり、建築年代に関して正解はないのかも知れませんが、やはり私はロマネスク以前の10世紀創建説に同意したくなります。


3)オリバンの聖マルティン教会(Church of San Martín at Oliván)


Photo(9)教会全図(San Martín, parish church of Oliván)
Photo(10)教会内部(Interior of the church)

オリバン(Oliván)は人口40人、ガビンよりもさらに小さな集落ですが、聖マルティン教会は教区教会として、今も地元の人たちの生活に密着した存在です。セラブロの教会群はそのほとんどが文化財となり、いまは教会として機能していないものが多いなかで、聖マルティン教会は実に珍しい例と言えます。

教会内部の写真(写真(10))を見ると、天井・屋根は木組みになっていますが、これはセラブロの教会群に共通する点です。ロマネスク建築に多く見られる半円形の石天井は、それを支える壁にたいへん大きな荷重がかかり、へたをすると天井が陥没する恐れがあるため、いろいろ工法に工夫をこらすわけですが、これらの教会群を手がけた工匠たちにはまだそれだけの技術力がなかったということでしょうか。この教会は1977年に「セラブロ友の会」による修復が完了しています。


4) ブサの聖ヨハネ教会(Church of San Juan at Busa)



Photo(11) 聖ヨハネ教会遠望(Veiw of the church of San Juan)
Photo(12)後陣方向からの図(View of the apse side)
Photo(13)南方向の図(South side)
Photo(14)教会入り口の装飾(Entrance door)
Photo(15)教会内部(祭壇方向)(Interior-altar)
Photo(16)教会内部(祭壇から西方を眺めた図)(Interior-view toward
the west)
Photo(17)三連窓(Window with 3 openings)
Photo (18)後陣(Apse)

ブサ(Busa)の聖ヨハネ教会は、礼拝堂の名がふさわしい小さな教会です。たぶん中世にはブサと呼ばれる集落の中心に位置していたのでしょうが、集落は消滅し教会だけが残ったようです。創建は11世紀後半とされ、セラブロの教会群の中では新しい部類に属します。スペイン内戦のときこの一帯は戦場になり、聖ヨハネ教会も被害をこうむりましたが、それでも中世以来の原型を最もよくとどめている例とされています。1970年代に「セラブロ友の会」の手で修復作業が始まり1977年に作業を終えましたが、その後1989年に最終的な手直しが行われ、現在に至っています。

セラブロの教会群は、いずれも装飾らしいものがあまり見あたらないのがその特徴ですが、教会の扉の上(写真14)に珍しくヤシの葉らしい装飾が彫り込んであります。これをアラビア語の祈りのことばと見る意見もありますが、実際にはどうなんでしょうか。もしそうだとすれば、キリスト教会の入り口になぜアラビア文字が?という疑問が湧きます。もっとも、10-12世紀ころのレコンキスタについて語る場合、イスラム文化は征服者によってイベリア半島ににもたらされた当時の先進文化であり、アラビア語を学び、イスラム風の衣装をまとうことにあこがれる人たちも多かった、という事情は忘れてならないところだと思います。
キリスト教スペインとイスラム・スペインの関わりについては別の機会に述べるつもりですが、同じ対イスラム戦争といっても、イベリア半島の「レコンキスタ」の歴史には、イスラムを抹殺すべきものとしか考えいなかったらしい、東方十字軍の歴史とは異なるものがある、ということだけ指摘しておきます。

祭壇から西方面を眺めた写真16では、三連の馬蹄形アーチ窓がシルエットになって見えます。これを外から見たのが写真17です。馬蹄形アーチはイスラム建築で多用され、モサラベ建築にもそれが引き継がれています。この三連アーチ窓は、「セラブロ友の会」のシンボルマークにも使われています。

後陣の写真(写真18)の軒下部分に、30本ばかりの短い円筒形の石材が装飾としてはめ込んであります。この円筒形はモールディング(繰り形)と呼ばれますが、後陣にまるではちまきでも締めたような形の装飾は、セラブロの教会群に共通する独特のものです。

聖ヨハネ教会の壁は、切り出した粗い石をそのまま積み上げたもので、建築技術の面だけを取り上げれば、稚拙なものとの評価を受けるかも知れません。しかしこの小さな教会には、11世紀の工人たちが祈るようにしてひとつひとつの石を積み上げていった、その武骨な手のぬくもりを感じさせるようなところがあります。それはまた、田舎のロマネスク教会でときどき出会う、素朴な木彫りのマリア像にも通じる暖かさです。


5) ラレデの聖ペテロ教会 (Church of San Pedro at Lárrede)


Photo(19) 聖ペテロ教会 - 鐘塔と後陣(View from the street)
Photo(20)南面の図(South side)
Photo(21)南入り口(South side -church entrance)

ラレデ(Lárrede)は人口14人、教会に隣接して数軒の家があるだけで、村とも呼べないごく小さな集落です。しかし聖ペテロ教会は堂々とした鐘塔を備え、セラブロの小教会群のなかではその規模と完成度においてひときわ抜き出た存在です。聖ペテロ教会は11世紀半ば頃に腕のよい工匠が手がけた建築であり、その現場で技術を習得した工人たちが、周辺の小さな教会の建設に携わったのであろうと推測されています。

三連のアーチ窓を持つ鐘塔は、シリア南部で見られるモスクの塔に似ているなど、イスラム建築の影響を指摘する見方があり、また後陣の連続したアーチ装飾については北イタリア・ロンバルディア建築の影響がよく指摘されます。モサラベ様式とロンバルディア様式が混在する、11世紀半ばころのガリェゴ川周辺の建築を代表する教会です。ほとんどのセラブロ地域のロマネスク教会が見捨てられた状態にあった中で、聖ペテロ教会だけは早くから注目を集め、1930年代に最初の修復が行われています。その後も何度か修復が行われ、数年前には鐘塔の修理がなされました。

「セラブロ友の会」(Amigos de Serrablo)は800名ていどの会員を持ち、この40年ばかりの間に一貫して地元の教会群の修復に従事してきた実績を持つ組織です。ビデオで会員の仕事ぶりを見る機会がありましたが、ハンマーひとつを手に屋根に上って、スレートかわらを一枚一枚丹念に敷いていく場面でした。ひとつの教会を仕上げるのには、たとえ人海戦術で取り組んでも相当な時間がかかりそうで、ずいぶん忍耐の要る作業だなと思いました。対象が礼拝堂的な小さい教会なので、ボランティア活動に頼るやり方でいいのでしょうが、やはり何といっても、初期ロマネスクの礼拝堂を忠実に復元したいと願う会員たちの熱意が、これだけの実績を生んだのだと思います。
カタルーニャでロマネスクのイメージにそぐわない、余りにも手を入れ過ぎた「ロマネスク」教会を目にして絶句した経験があるだけに、原形の復元を尊重する「セラブロ友の会」人たちの真摯な態度に感銘を覚えました。

(Summary in English)
Romanesque Churches of Serrablo
Serrablo is an area on the west bank of the Gállego River in the Northern part of Aragon. The river's source is in the Pyrenées which mark the border with France. There are 17 small pre-Romanesque or Romanesque churches which date back to 10-12 centuries. These small but very attractive churches are located within 40 km range along the upper west bank of the River Gállego.
This article is to introduce 5 churches of them which I visited during the spring of 2010.
In early 1970's the ''Association of Friends of Serrablo'' was formed by the volunteers who were committed to restoring the Romanesque churches in this area. Most of the churches had been in bad shape due to negligence of long time. The members of the Association, now with 800 membership, have dedicated their week ends or vacation time to the restoration work.

1) Church of Basarán at Formigal

This tiny church was moved in early 1970's from Basarán to the French border town Formigal which has been growing as a ski resort. The bell tower was added at the time of reconstruction and is not original. The reconstruction seems authentic except for the bell tower.
Photo(3)(4)

2) Curch of San Bartolomé at Gavín

This is one of the oldest among the churches of Serrablo. The bell tower shows sign of the Mozarabe style which is a modified Islamic art and architecture introduced mostly into the 10th century Spain by the hand of Christians living in Muslim Spain. There are different opinions as to the time of construction of this church; mid 10th century or 11th century. But I agree to the theory that the church should have been constructed in mid 10th century at the early stage of the Reconquest along the upper Gallego river.
Photos(5)(6)(7)(8)

3) Church of San Martín at Oliván

This is one of the few parish churches currently active. Most of the Serrablo churches remain as place of visit but not for worship.
Photos (9)(10)

4) Church of San Juan at Busa

This church is considered to be one the most faithful reconstruction of the original church which was constructed in mid 11th century. It was damaged during the Spanish Civil War of late 1930's but has been restored in 1970's. Busa seems to have been a village during the medieval time, but the village has disappeared except for this church. It's of a simple construction but has a lot of charm. A frieze of pipe shaped mouldings and blind arches are typical decoration of Serrablo churches. The window with 3 openings composed of horseshoe arches is also a fine example of Mozarabic influence and is used as a symbol mark for the Association of Friends of Serrablo.
Photos(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)

5) Church of San Pedro at Lárrede

The most famous among Serrablo churches for its size and quality of architecture. The construction time seems to be in mid 11th century. A good example of combination of Mozarabic and early Romanesque style. San Pedro of Lárrede represents the churches located in the upper Gállego river banks.
Photos(19)(20)(21)