2013年3月31日日曜日

スペイン・ロマネスクの旅(9)サンティリャーナ・デル・マル聖堂(Collegiate Church of Santillana del Mar)



スペイン地図 Map of Spain

サンティアゴ巡礼路図(Routes of St. James Way, by courtesy of Gronze.com)


サンティリャーナ・デル・マル聖堂(Collegiate Church of Santillana del Mar)



写真(1)サンティリャーナ・デル・マル聖堂への道(Street to the Church) Click to enlarge

写真(2)聖堂遠景(左手前は屋根付きの泉水)(View of the Church with a fountain on the front left)

サンティリャーナ・デル・マルの町と聖堂
北スペインのカンタブリア(Cantabria)地方は、愛媛県か愛知県くらいの広さで、人口も60万人にすぎませんが、それでもスペイン国家を構成する17の自治州のひとつに数えられています。カンタブリア人はローマ時代から、外来の支配者に対し抵抗を示した歴史を持ち、8世紀にイスラム勢力がコルドバを本拠にイベリア半島の支配をほぼ確立した時代にも、イスラム政権に抵抗を続けた初期のレコンキスタ拠点のひとつでした。

''カンタブリア''には「山に住む人」の意味があるそうですが、2,500m級のカンタブリア山脈を有するこの地方は、攻めるに難しく守るに適した地形であったことに加え、もともと資源的にはあまり豊かな地域でなかったことから、歴代のイベリア半島支配者も、カンタブリア征服にあたって無理押しを避けた、という面があったのではないかと思います。

首都サンタンデル市から西30キロのところに、美しい回廊を持つサンティリャーナ・デル・マル聖堂があります。この教会は今では地区教会のひとつにすぎませんが、コレヒアータ(参事会教会Colegiata)の尊称を持ち、北スペインのロマネスク様式を現代に伝える歴史ある大教会なので、教会と同じ意味ですが「聖堂」と呼ぶことにします。

SantillanaはSanta Iliana(スペイン語ではSanta Juliana)が転じたものといわれます。西アジア(げんざいのトルコ)で殉教した聖女ユリアナの遺骸が9世紀ころ当地に到来したのを機会に、修道院を建てたのがその始まりとされています。
なお教会の正式名称はColegiata de Santa Julianaですが、一般にはColegiata de Santillana del Marの通称で知られているため、本Blogでもサンティリャーナ・デル・マル聖堂で通すことにします。

Santillana del Mar(海のサンティリャーナ)は、聖堂の名であると同時に町の名前でもあります。古代の洞窟壁画で有名なアルタミラの洞窟が町から3キロぐらいのところにあり、サンティリャーナの町は観光地としてもまた避暑地としても知られています。ただし呼び名に「海の」と付いていても、町は海岸から5キロくらい離れていますが、これはたぶん福島県などでいう「浜通り」、すなわち山岳部に対比して沿岸部にある、という意味なのでしょう。

軒をつらねるおみやげ店をのぞいたりしながら、石畳の緩やかな坂道を下っていくと、聖堂前の広場に出ます (写真-1) (写真-2)

聖堂の南正面入り口(South entrance of the church)


写真(3)聖堂南面図-テラス入り口の左右を見張るライオン(View of the church from the Plaza de Abad Francisco Navarro)


写真(4)南正面門(South façade of the church; reformed in the 18C.)

写真(5)キリストを囲む4人の天使(Christ with 4 angels)

写真(6)ライオン像(Guardian Lion at the entrance)

写真(7)キリストと使徒たち(Christ and Apostles)

中世では聖人の遺骸など聖遺物には、奇蹟を起こす力があると信じられていたため、有名な聖遺物を持つ修道院や教会には多数の巡礼者が集まり、また特に霊験あらたかとされる霊場の修道院には、国王や地方領主などが種々の特権を与えて保護したり、多大の寄進をするのが通例でした。その結果、修道院の中には広大な領地を持ち、領地内の支配力や財力において地方領主に匹敵するか、もしくはそれを越える存在になった例がいくつもあります。

大西洋岸沿いのサンティアゴ巡礼北路(Camino del norte)の重要な霊場であった、サンティリャーナ・デル・マル修道院もそのひとつでした。その経緯は良く分かりませんが、11世紀末ころに在俗の参事会員が修道院の管理に参画する、コレヒアータ(Colegiata)に形を変えたようです。そして、のちに修道院の実体がなくなったあとも、尊称の形でコレヒアータの呼び名が残り、現在に至っています。

当初のSantilla del Mar修道院は、プレロマネスク様式の小規模のものでしたが、サンティアゴ巡礼が爆発的な発展を遂げた11-13世紀には、聖女ユリアナの遺骸のおかげで多大の巡礼者や寄進が集まり、修道院の財政も大いに潤ったようで、12世紀から13世紀にかけて、いま私たちが目にする巨大な教会が建設されました。ただしこれだけ歴史の古い大規模な修道院教会でありながら残存する記録は少なく、献堂の時期などもはっきりしません。

南正面(写真-4)が教会の入り口ですが、18世紀の改修で現在の姿に変わっています。屋根のすぐ下にはめ込まれた聖女ユリアナ像はその当時の作品で、ロマネスクとは無関係です。
しかし入り口の壁に掛けてある、4人の天使がキリストを囲む像(写真-5)や、その左右に位置する使徒らしき像(写真-7)は、なかに頭や腕が欠けているものもありますが、いかにもスペイン・ロマネスクらしい、暖か味を感じさせるものです。これらの彫刻作品は、もともと13世紀の改修で取り壊された西正面入り口を飾っていたものではないか、と考えられています。
教会南正面前のテラス入り口に構えているライオン(写真-6)も、長年の風雪にさらされ骨格だけが残ったという感じですが、それが逆に力強い印象を与えます。


後陣(Apse)


写真(8)後陣(Apse)

写真(9)南後陣-右側窓(South Apse)




















写真(10)南後陣右側窓の装飾-そっくり返った人物像(Human figure on the south apse)


写真(11)南後陣-左側窓(South Apse)

写真(8)は、東方向に張り出した後陣を眺めた図ですが、うしろに見える教会交差部の塔は高さ約20米、中央後陣も12米を越える高さで、どっしりとした構えが目を引きます。写真の左手にもっとも保存状態のよい南後陣が見えます。

写真(9)は南後陣の右側の窓の図ですが、アラゴン州のハカ大聖堂でおなじみの「ハカのチェス模様」と呼ばれる、切り餅を連ねたような模様が、窓の下部を帯状に飾っているのが目を引きます。ハカ大聖堂は、サンティアゴ大聖堂とほぼ同じ時期に着工されたスペインで最も古いロマネスク大聖堂ですが、この「ハカのチェス模様」はサンティアゴ巡礼路に沿って、スペイン各地の教会建築に広がっていきました。

軒持ち送り(Modillion)


写真(12)軒持ち送り(Modillion)

写真(13)軒持ち送り(Modillion)

写真(14)軒持ち送り(Modillion)

写真(15)軒持ち送り(Modillion)

写真(16)軒持ち送り(Modillion)

軒持ち送り(英語ではModillion)は、軒下を支える役目を持つ装飾です。教会内部や回廊の柱頭彫刻は、施工主である修道院や教会の意向を反映して、主として宗教的な題材が選ばれますが、いっぽう軒持ち送りの方は、工匠たちのアイデアを生かすことが許される箇所だったようです。スペイン各地のロマネスク教会を訪ねていると、よくもこんな猥雑な軒持ち送りの絵柄が許されたものだ、などと目を見張ることがあります。

サンティリャーナ・デル・マル聖堂の軒持ち送りは、その意味ではあまり驚くような絵柄ではありませんが、人物像や奇怪な動物像などがいずれも生き生きとして、しかもどこかユーモラスな雰囲気があり、南正面門の彫刻と同じく、なんど見てもあきない楽しいものです。

カンタブリアなど北部スペイン地方は、キリスト教の浸透が遅れたことから、異教的習俗が長期にわたって保持されたと言われます。聖堂の持ち送りに見られる異様な動物や人物像などは、工匠の個人的な思いつきというより、むしろ工匠が所属する集団の習俗に根ざすものがその背景にあり、それが作品に生命力を与えているのではないか、という気がします。

教会内部(Interior of the Church)


写真(17)教会内部の図(Interior of the Church)

写真(18)教会内部の柱のひとつ(One of the principal columns)

写真(19)柱頭彫刻(Capital)

写真(20)中央祭壇の図(Central altar)

教会の中はずいぶん広いな、という印象を与えます。全長は40米を越え、身廊と側廊をあわせた横幅は15米くらいで、ハカ大聖堂よりもすこし大きい感じがします。
中央祭壇には、聖女ユリアナの生涯を描いた豪華な16世紀の祭壇衝立(Retablo)がそなわり、祭壇の前飾りには4人の使徒の浮き彫りがはめ込んであります。12世紀スペイン・ロマネスク彫刻の逸品、と評価の高い浮き彫りの名作ですが、クローズアップの写真を撮り損ねたのが残念です。

回廊(Cloister)
サンティリャーナ・デル・マル聖堂の見どころは、何と言っても回廊でしょう。12世紀末から13世紀はじめにかけて建設された、スペイン・ロマネスク後期の作品ですが、柱頭彫刻の中にはロマネスク初期を思わせる、素朴で力強いものがあります。

回廊を拝観するには、教会からいちど外に出て、西側に設けられた回廊専用入り口で拝観料を支払うしくみになっています。観光客の多い教会にしては余計な説明など目に付かず、まるで現役の修道院回廊のような、きりっと引き締まった雰囲気に感心させられます。

写真(21)正面が回廊の北側、左手に西側の一部が見える(North-West view of the cloister)

写真(22)回廊西側を中庭から眺めた図。右手が北側の一部(West view of the cloister)

写真(23)北側の図。壁に沿って石棺が並べてある。(North corridor with sarcophagi)

写真(24)回廊南側の図。左手が入り口に近い西側廊下(Corner of South corridor and West)

回廊は北側(30.5m)と南側(28.5m)が、西側(27.3m)と東側(27.50m)より少し長い、変形の四辺形を形作っています。制作年代順に見ると、もっとも古いのが南側、ついで入り口に近い西側、そして北側という順序になります。東側は一面ツタに覆われていますが、すっかりゴシック様式に改装されており、柱頭彫刻にも見るべきものはありません。

柱頭彫刻(Capitals)
回廊には49の柱頭がありますが、北側と西側は植物文様が主体なので、物語性のある南側の柱頭彫刻から10個を選んでご紹介します。


写真(25)からみあう蛇とアカンサス(Serpents and Acanthus)

写真(26)龍を退治する騎士(Knight against a dragon)

写真(27)龍退治の騎士を助ける天使たち(Angles helping the Knight)

写真(28)馬の死体をついばむ禿たか(Vulchers around dead horses)

写真(29)怪獣と戦う騎士(Knight against a monster)

写真(30)獅子を乗りこなすダビデ(David on a lion)

写真(31)花束を手に騎士を迎える婦人(Woman with flower receiving a knight)

写真(32)キリスト降架(Descent from the Cross)

写真(33)ライオンに囲まれた聖ダニエル(Saint Daniel and the lions)

写真(34)ツタ文様(Shoot pattern)

柱頭彫刻が何を表しているかについては、いろいろ意見がわかれるところですが、とりあえず私に理解できる副題をつけておきました。
また、サンティリャーナ・デル・マル聖堂の建設時期に関しても異論があり、通説は12-13世紀となっていますが、教会建設はそれより古い11-12世紀で、回廊は12世紀末-13初めのもの、と見る説があります。

サンティリャーナ・デル・マル聖堂の魅力は、過度の修復の手が加わっておらず、また今も現役の地区教会であることから、いきいきとした祈りの場の伝統が保たれているところにあると思います。
聖堂を飾る、風化で細部が磨耗してしまった彫刻には、大胆な筆運びのデッサンのような力強さがあり、また「キリスト降架」の柱頭彫刻(写真-32)なども、じっと眺めていると、工匠の祈りが伝わってくる思いがします。
サンティリャーナ・デル・マル聖堂は、ロマネスクが宗教美術であることを、改めて感じさせてくれる教会です。

(Summary in English)
Collegiate Church of Santillana del Mar

Santillana del Mar is a beautiful small town in Cantabria, northern Spain, which is well known for its Collegiate Church of the 12th century. The town is located at 30 km west of Santander, capital city of Cantabria, and is at a few kilometers from the cave of Altamira.

The church has its origins in a monastery dating from 9th century when, it is believed, the relics of Santa Juliana, martyr of 3rd century in Nicomedia(Turkey), was brought to Cantabria.
Over the course of the 11th century it was transformed into a collegiate church, although the building visible today dates from the 12th century. It is one of the best kept Romanesque churches in Spain with a magnificent cloister. The altarpiece is the work of the 16th century which describes the life of Saint Juliana.

The cloister was built between late 12th century to early 13th century and has 49 capitals. The south side is of the oldest construction which was followed by the west side and the north side. The east side, covered by ivy, was remodeled during Gothic period.
The photos of #25-#34 are the selected pieces of the capitals along the south corridor.






2012年12月31日月曜日

Fujifilm X-E1を使って教会を撮る(How good is Fujifilm X-E1 for low light photography?)

Fujifilm X-E1は本当に高感度に強いか?(Is Fujifilm X-E1 really good for low light photography?)

Fuji X-E1 with XF18-55mm zoom lens
(For the summary in English please see the end of this article.)


なぜミラーレスなのか?

私はフィルム時代からのキャノン・ユーザーですが、重い一眼レフを抱えての旅が苦痛になってきたので、ミラーレスカメラを使おうと考え始めました。
ただし薄暗いロマネスク教会内部の壁画や柱頭彫刻などの細部を、三脚もフラッシュも使えないという条件で撮影することが多いので、たとえミラーレス・カメラといえども、APS-Cサイズで高感度に強いセンサーを備えたボデーと、解像力にすぐれたズームレンズの登場を待ちかねていました。しかしCanonにはそれらしい製品を出す気配が全くないのでしびれを切らしていたところ、11月にFujiflmからX-E1とXF18-55mmのズームレンズがkitで発売になったので、思い切ってCanonの機材を処分しFuji Xシリーズに切り替えることに決めました。

Fuji X-E1と18-55mmの組み合わせの利点
私がFujiのX-E1とXF18-55mmの組み合わせを選んだ理由は、小柄なサイズでありながら発色がすばらしいことと、ISO 6400-12800の高感度でも、パソコン画面上でなら十分使えるだけの画質の写真が、ごく手軽に撮れてしまうところにあります。

私の場合は、スペイン・ロマネスクについてのBlog記事の挿絵として撮る写真がほとんどなので、被写体は動かぬため、暗い環境で焦点合わせのスピードが若干落ちるのは許容範囲です。X-E1は入手してまだ一ヶ月ですが、これまでの経験ではオートフォーカスは予想以上にうまく作動しています。それにいざとなればマニュアルフォーカスに切り替えればいい、という安心感もあります。

スペインでは、カンカン照りのコントラストの強い屋外と、薄暗い教会内部を出たり入ったりしながら写真を撮ることが多いので、ISOその他の設定をひんぱんに変更しますが、X-E1はその点でも使い勝手のよいカメラです。

X-E1とXF18-55mmの使い勝手をテストする(Testing X-E1 in low light)
X-E1の高感度の使い勝手をテストするため、トロントのダウンタウンにある英国国教会大聖堂(Cathedral Church of St. James)を訪ねました。この大聖堂は19世紀後半の新ゴシック様式の教会で、ステンドグラス入りの窓がたくさんあり室内が明るいため、できるだけロマネスク教会の光量に近づけるよう、教会内部の撮影には曇りの日を選びました。

Photo(1) Anglican Cathedral Church of St. James (Toronto)

教会はチャーチ・ストリートと キング・ストリートの交差点に面した、人通りの多い場所にあります。

Photo(2) The church is located at the N.E. corner of Church & King(downtown Toronto)

Photo(3) Sightseeing bus passing the intersection

教会内部(Interior of the church)
カメラの高感度テストに人形などを撮っている例を見かけますが、光量が充分なスタジオ内でISO 25,600の写真が撮れるカメラでも、照明もなく手持ちで暗い教会内を撮るとなれば話が違ってきます。一番気になっていたのは、Fuji X-E1とXF18-55mmズームの組み合わせが、どれだけ実戦で役に立つだろうか、ということでした。結論から先に言えば、「暗い環境でも充分使い物になる」ということです。

Photo(4) View from the Aisle(ISO 6,400, 18mm f4, 1/30, AWB for all)


高感度テスト(High ISO sample photos-all are Jpeg images without post processing)
高感度テストは、教会内で一番暗そうな場所に手持ちのカメラを向けて行いました。なおカメラは初期設定のまま、画像は全てJpegで、トリミング以外の修正は加えておりません。
Photo(5) Church Organ(ISO 6,400,26.5mm f3.2,1/15)

Photo(6) Clock(ISO 6,400,44.4mm f4,1/20)
Photo(7)100% blow up of the clock

Photo(8) Clock(ISO 12,800,44.4mm f4,1/20)
Photo(9)100% blow up of the clock


Photo(10)Clock(ISO 25,600,44.4mm f4,1/30)
Photo(11)100% blow up of the clock

気がついたこと
1)私の腕では手ブレ防止付きの18-55mmズームでも、1/20秒以下ではブレが目立ちやすくなる、ということ。Stabilizationの過信は禁物。
2)ISO 12,800でもBlog用(PC画面での表示)なら使えること。場合によってはISO 25,600も使えそう。
3)露出補正ダイアルが動きやすいこと。クリックストップでもう少し固くならないか。その点は電源スイッチも同じ。バッグから取り出してみたらスイッチが入っていた、ということが何度かあった。
4)別売の純正Gripをつけて使っているが、それでもズームレンズを取り付けたときのホールド感はいまひとつ。別売グリップをつけると重くなるうえ、バッテリーやメモリーの取替えも面倒になる。もともとこの程度のGripならなぜ最初からボディーに組みこまないのか解せない。
5)メモリーカードが取り出しにくい。とくに手がかじかんでいる時には苦労する。バッテリーのドアーは、X100と同じくベースプレート方向に開くよう変更して欲しい。

しかし細かい要望はさておき、途中で設定が変わっているのに気づきあわてることの多かった、じゃじゃ馬のようなFuji X100に手こずらされたあとだけに、余計にX-E1の使い勝手の良さを痛感しています。まだまだ使いこなすにはそうとう時間がかかりそうですが、何と言っても発色がすばらしいし、そのうえX-E1とXF18-55mmのズームレンズの組み合わせは、軽くて使いやすく安心して長旅に持っていけるカメラだという感じがしています。

実は新製品の発売前にスペックを眺めていた段階では、Fuji X-E1と Sony NEX-6のどちらにするか迷っていましたが、X-E1にしようと決めたのは、カナダのあざらしなどを撮っておられる写真家、小原玲氏のBlogに出会ったのがきっかけでした。
http://reiohara.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/x-e1evf-a8f2.html
小原氏のBlogには、写真のあるべき姿やプロ写真家から見たカメラの将来像などについて、日ごろ同氏が考え抜いている内容のエッセンスがつまっており、またFuji Xシリーズの活用法など現役のプロならではの実戦的なアドバイスもあって、楽しく読みながら考えさせられることの多い、内容の充実したBlogです。

(Summary in English)
How good is Fujifilm X-E1 for low light photography?

I've been a Canon user since the film days, but have decided to switch to Fuji X series, because I want to travel light. I take photos mostly for my blog on the Romanesque arts of Spain. I travel to Spain to take pictures of Romanesque monasteries and churches most of the time in very low light environment, no tripod nor flash permitted.

Until recently I've had some reservation for Fuji X series after struggling for months with X100, a charming but temperamental camera. Also lack of zoom lens and diopter adjustment were other reasons I passed the X Pro1.

The arrival of XE-1 and XF18-55mm zoom lens seemed to me almost an ideal solution for achieving what I had always wanted;travel light but capable of taking high resolution photos. The question is ''How good will it work the combination of Fuji X-E1 and 18-55mm zoom in a very low light environment?''

To test it I took the camera to the Anglican Cathedral Church of St. James in downtown Toronto. I chose one sunny day to take photos of the view of the church and streets, while a cloudy day for shooting inside the church under low light environment.
Please see the sample photos above. All images are in Jpeg without any post processing except for cropping. Camera settings remain at default. Camera was hand held with lens stabilizer switched on.

With this test result I'm confident that X-E1 and 18-55mm combination can replace the heavy Canon DSLR in my next trip to Spain.

(Some observations)
X-E1 will be used to take photos mostly of buildings or art works, consequently focusing speed is not a serious issue for me. Although in extremely dark condition sometimes I had to wait for seconds to focus properly, normally X-E1 rarely hunts in low light environment.
1) Shutter speeds slower than 1/20th sometimes caused blurred images. It depends entirely on photographer's skill, but excessive reliance on image stabilization does not seem to be a good idea.
2)Up to ISO 12,800 is acceptable for my use(for on screen view, though not apt for print) and in some cases ISO 25,600 is also usable.
3)Exposure compensation dial rotates too easily. I wish it will have more secure click stops. The power switch also moves too smooth. I found the camera had been switched on when taken it out of the bag.
4)The Fuji made grip is added to the X-E1 body, but it still lacks a comfortable hold to my taste. I wonder why we need to buy an extra grip, first of all, which should have been part of the body from the beginning.

Minor gripes aside, the X-E1 is a huge step forward from X100. For a long time I've not held in my hand a camera like X-E1; a joy to own and a joy to use.





2012年12月19日水曜日

スペイン・ロマネスクの旅(8) アララール山系の聖地と聖ミカエル教会(Sanctuary of Aralar - Church of Saint Michael)

(Map of Spain)

写真(1)山道で出会った馬の親子(Road to the Sanctuary)

写真(3)聖地の道路標識(Road sign of the Sanctuary)

写真(3)聖ミカエル教会遠望(Church of Saint Michael on the hill top)

アララールの聖地(Sanctuary of Aralar)

ナバラ州の首都パンプロナから北西に約30キロ、途中で放し飼いの馬の親子に出会ったりしながら、アララール山系の山道を標高1,200米くらいまで登りつめたところに、「アララールの聖地」または「サン・ミゲルの聖地」として知られる「聖ミカエル教会」があります。

アララール山系(Sierra de Aralar)は、標高1,200-1,400米くらいの山々が、ナバラとバスク地方のギプスコア県にまたがって点在する広い高原地帯で、一部が自然公園に指定されていますが、この地域には太古から人の住んだ形跡があり、大きな石を石室状に組み上げたドルメンが数十個発見されています。ドルメンはおそらく新石器時代から青銅器時代の間に築かれた墳墓であろう、との見方にしたがえば、紀元前数千年の昔から、アララール山系にはドルメンを築くだけの能力を備えた人たちが住んでいたことになります。

スペインで聖地(Santuario)と呼ばれるものの中に、キリスト教が到来する以前に土着信仰の聖地であったと思われる場所がいくつかありますが、アララールの聖地もそのひとつです。子を授かりたい夫婦が聖地に詣でる風習があったらしいことや、昔は教会の中に大きな石があり「その石にすわってミサに参列すると子宝が授かると信じられていた」などの伝承は、巨石信仰の色彩がつよい古来からの聖地を、キリスト教の聖地として取り込んでいった名残りではないか、という気がします。

聖ミカエル教会(Iglesia de San Miguel)

写真(4)教会東面の図(East view)

写真(5)後陣(Apse)

写真(6)プレロマネスク様式の痕跡を残す中央後陣(Central apse)

写真(7)北東面の図(North East view)

聖ミカエル教会(Iglesia de San Miguel)が現在の形を整えたの12世紀半ばですが、すでに9世紀にはプレロマネスク様式の小さな教会が同じ場所に存在したことが、教会周辺の発掘調査から判明しています。ただしこのプレロマネスク教会は10世紀前半のイスラム軍の侵攻により焼失し、11世紀後半にまず後陣と祭壇を含む内陣部分がロマネスク様式で再建されました。なお中央後陣の写真(写真(5)-(6))で黒ずんで見える石積みの箇所が、プレロマネスク様式の古い教会のものとされています。

七宝細工の祭壇画(Altarpiece of Limoges enamelware)

写真(8) 祭壇方向の図(View of the altar)

写真(9)祭壇(Altar)

写真(10)七宝細工の祭壇画 (Altarpiece of Limoges enamelware)

写真(11)祭壇画中央部分の拡大図(Altarpiece close up)

アララールの聖ミカエル教会といえば「七宝細工の祭壇画」をすぐ連想するほど、この縦1米、横巾2米の長方形の祭壇画は有名なものですが、これはフランスのリモージュの工匠たちの手で1175-1185年ころ制作された、という説が有力です。リモージュの七宝細工の起源は12世紀とされているので、比較的に早い時期のリモージュの名作のひとつということになります。中央の聖母とイエス像の部分を拡大した写真(11)からもうかがえる通り、銅板に実に手の込んだ加工がなされているのが分かります。
祭壇画はガラス入りの大きな額縁状のケースに納められ、祭壇のうしろに安置してありますが、私たちが教会を拝観したときは、ほかに人影もなくまた出入りも自由だったので、1970年代末に起きたという盗難事件の再発などがなければよいが、と祈るような気持ちになりました。

作品の質の高さから判断して、ナバラ王家の寄進になるものではないかという説もあるほど、本来なら大聖堂に寄進されてもおかしくないほど立派な七宝細工の祭壇画が、なぜ人里はなれた山中の教会の所蔵になっているのか、謎の部分があります。
しかし逆に見れば、古来の地場の聖地に建てられた聖ミカエル教会は、単なる田舎の一教会ではなく、むしろ11-12世紀のカトリック教会にとっては、ナバラからバスク地方にかけての布教戦略上、たいへん重要な拠点のひとつだったのではないか、とも考えられます。

ひとつのヒントは、聖ミカエル教会がロマネスク様式で再建された11世紀末に、パンプロナ司教の指導のもとにサン・ミゲル(聖ミカエル)信心会の組織作りが始まっていることです。この信心会(Cofradía de San Miguel)は、最盛期には会員4万人に達したと言われ、現在も存続しています。
サンティアゴ巡礼や十字軍運動が熱病のようにヨーロッパ全体をおおった時代に、信心会に加盟する信徒が急増するのは不思議ではありません。しかしスペインの中でもキリスト教の浸透が遅れたバスク地方とそれに隣接するナバラ地方の一部の信徒は、まだ内心では巨石信仰など土着信仰の名残りを引きずっていたと考えるのが自然ではないでしょうか。そういう信徒のキリスト教信仰を確かなものとするためにも、古来の聖地に聖ミカエル教会を建て、土着の信仰を取り込みながら、サン・ミゲル信心会の形で民衆の宗教エネルギーを教会に吸収していく必要があったのではないか。そしてナバラ王権もそれに賛同し、聖ミカエル教会にいろいろ寄進をしたのではないか。私はそんな風に推測しています。

聖地の風景

写真(12) 聖地から眺めたアララール山系(Aralar mountains)

写真(13) 教会周辺の風景(View from the Sanctuary)

写真(12)の右手前に見えるのが中央後陣、その奥の建物は教会に隣接する宿泊施設ですが、夏にはこの聖地に信徒が泊りがけで集うそうです。
聖ミカエル教会は20世紀後半の修復工事で相当手が加えられているため、建物自体の歴史的価値はいまひとつのようですが、七宝細工の祭壇画の見事さと、そして聖地の澄み切った空気が、訪れる者を魅きつけてやまない教会です。

(Summary in English)
Sanctuary of Saint Michael of Aralar(Navarra, Spain)

The Romanesque church of Saint Michael (Iglesia de San Miguel) is located on a hill top of the mountains of Aralar, about 30 km north west of Pamplona. The area is also called ''Sanctuary of Aralar'' or ''Sanctuary of Saint Michael''. The mountains of Aralar is also known for the existence of tens of dolmens(megalithic tombs) dating from the Neolithic to Bronze period. It means in this area people lived since hundreds, if not thousands, of years BC, who were capable of stoneworks.

The church is famous for its magnificent altarpiece of Limoges enamelwork made in late 12th century. The current church building was originally constructed during 11th to 12th century with significant repair work done in 1970's. Archaeological excavations have revealed that a pre-Romanesque church already existed since 9th century at the same place which apparently was destroyed by a Muslim incursion in mid 10th century.










2012年11月3日土曜日

スペインロマネスクの旅(7) サングェサのサンタ・マリア・ラ・レアル教会(The Church of Santa María la Real at Sangüesa, Navarra)

スペイン全図(Map of Spain)。
(For summary in English please see the end of this article)
サンティアゴ巡礼路図(Routes of St. James Way, by courtesy of Gronze.com)


サングェサのサンタ・マリア・ラ・レアル教会 (Santa María la Real at Sangüesa, Navarra)


写真(1) 教会東面の図(鐘塔はゴシック様式)(East view of the church, the bell tower is of Gothic style)


サングェサ(Sangüesa)
ナバラ州の首都パンプロナから東に40kmのサングェサ(Sangüesa)は、サンポルト峠からハカ(Jaca)を経由してプエンテ・ラ・レイナに至る、160kmにおよぶサンティアゴ巡礼路アラゴン道の巡礼都市です。アラゴン地方のロマネスク建築に縁の深いサンチョ・ラミレス・アラゴン国王(在位*1064-1094)は、1076年にナバラ王国の内紛を機にナバラを併合しますが、1090年にはサングェサに対して免税特権を含むハカ並みの都市法を認めたと言われます。これは11世紀末の時点でサングェサがすでにこの地域の物流の拠点であったことを物語るものです。いまは人口5,000人くらいの静かな町ですが、サンティアゴ巡礼の最盛期11-13世紀には、サングエサはピレネーを越えて人と物が行き交う巡礼ルートの重要な拠点のひとつとして、大いに賑わっていたようです。

サンタ・マリア・ラ・レアル教会(Santa María la Real)は、サンチョ・ラミレスの二代あとのアラゴン・ナバラ国王アルフォンソI世-戦闘王(在位1104-1134)が、1131年に聖ヨハネ騎士団にサングェサの王宮を寄付したのを契機に建設が始まったとされています。そして華麗な彫刻で有名なファサードが完成したのは12世紀末ころ、というのが通説です。''ラ・レアル'' の呼び名は、王宮付きの礼拝堂がその母体だったからでしょう。

サングェサは前回ご紹介したレイレ修道院からは15kmの距離にあり、サンポルト峠でピレネーを越えて北からやって来る巡礼者たちは、レイレ修道院にも足をのばしたに違いありません。
{*(注)サンチョ・ラミレス・アラゴン国王の在位期間を1069-1094年とする説もある}


教会正面(Façade)
サンタ・マリア・ラ・レアル教会は、彫刻で埋めつくされた華麗な教会の南正面(ファサード)が見どころですが、このファサードの制作を担当したのは、アラゴン地方の工匠サンフアン・デ・ラ・ペーニャのマエストロが率いる工房と、レオデガリウス(Leodegarius,フランス人名 Légerに相当)が率いる工房、というのが定説です。

レオデガリウスは、スペインに渡来する前にシャルトル大聖堂西正面の制作に携わったという話もあるほど、なかなか腕のよい工匠であったようです。カスティーリャ国王サンチョ三世(在位1156-1158)の夫人ブランカ(Blanca Garcés 1137-1156)の石棺は、スペイン・ロマネスクの傑作のひとつと言われるほど見事なものですが、1156-1158年の間に制作されたと推定されるこの石棺が、レオデガリウスのスペインにおける最初の作品であるとする説があります。


写真(2) Calle Mayorに面した教会の南正面-The façade faces the busy street, Calle Mayor.

サンタ・マリア・ラ・レアル教会は、西をアラゴン川にさえぎられた地形のため、ふつうは西にあるべき正面入り口が南側に設けられています。交通量の多い大通り(Calle Mayor)に面しているので、車の排ガスによる彫刻の劣化や拝観時の安全を考慮し、地元のロマネスク愛好家からは交通規制の要望が出ていますが、なかなか実現しないようです。この通りは中世には ''巡礼通り'' と呼ばれていたらしく、サンティアゴ巡礼に向かう巡礼者たちは、南正面の彫刻を最後にもう一度見上げたあと、教会のそばを流れるアラゴン川の橋を渡って西に向かったのでしょう。



写真(3) 教会南正面(The façade)

サンタ・マリア・ラ・レアル教会のファサードは大きく分けて、扉を囲むアーキボルト(またはヴシュール)と称する多層アーチおよび半円形のタンパン(褐色部分)と、その上に二段に分けて彫り込んだキリストと12使徒の像(大理石色)から構成されています。なお扉の右上と左上の隅には''持ち送り''と呼ばれる装飾があります。

上部二段のキリストと使徒の像は、サンフアン・デ・ラ・ペーニャのマエストロとその工房の作品で、下部の6本の人物円柱はレオデガリウスの作品であろう、というのはおおよそ見当がつきますが、残りの部分はよく分からないところがあります。


人物円柱
人物円柱というスペイン・ロマネスクでは余り目にしない作風の3人のマリア像ですが、左からマグダラのマリア、聖母マリア、ヤコブの母マリアが刻まれています。

写真(4) 3人のマリア像(from left to right: Mary Magdalene, Virgin Mary & Mary,mother of James)
写真(5) 聖母マリアが手にする本に刻まれた''レオデガリウスがこれを作った''というラテン語の銘文(''Leodegarius me facit''(Leodearius made this) is incised on the book held by the Virgin Mary)

中央の聖母マリアが手にした本には、''レオデガリウスがこれを作った''というラテン語の銘文が刻んであります。私たちはロマネスク美術は無名の工匠の手になるものという印象を持っていますが、中には余り人目につかない場所に自ら手がけたことを記しておくことはあります。しかしこのレオデガリウスほどおおっぴらに銘文を刻んだ例は余り見かけません。彼にはよほどの自信があったということでしょうか。


写真(6)ペテロ、パウロ、ユダの像(Peter, Paulo, Juda)

扉右側の人物円柱は、左からペテロ、パウロ、ユダの像です。ユダは首を吊った珍しい形ですが、これは巡礼者を騙す悪徳業者をユダになぞらえ、このユダのように罰を受けるぞと警告する意味があった、と見る説があります。

持ち送り装飾

写真(7) 正面扉右上隅の持ち送り装飾・食人鬼(Modillion of a Monster androphogous)


写真(8)正面扉左上隅の持ち送り装飾・雄牛(Modillion of a Bull)

これは''持ち送り装飾''または''軒下持ち送り''と呼ばれ軒下にあるものですが、正面扉の左右の上隅に装飾として配置されることがあります。

軒下持ち送りの題材には、キリスト教の教えとは関係なさそうな自由奔放なものがよく選ばれます。なぜ教会の軒下にこんなおどろおどろしい像が並んでいるのか、私もロマネスク教会を訪ねて疑問に思うことがしばしばあります。
最近これに関して「怪獣に呑みこまれるというのは、死と再生の物語を表しており、これは12世紀末のアラゴン北部の工匠たちの間で受け継がれていた、秘教的な世界観の表れである」という説を目にしました。ロマネスク教会の軒下持ち送りにしばしば見られる、見る者の意表を突くどこか異教的な雰囲気すら持つ題材は、ある工匠の単なる思いつきというより、もっとなにか深い根を持っているらしいということを最近うすうす感じ始めたところです。


タンパン
タンパンには、最後の審判図とその下に王冠をつけた聖母マリアを囲む12使徒が刻んであります。

写真(9) タンパン-最後の審判図(Timpanum-The Last Judgement)

写真(10) タンパン(Timpanum)

写真(11) マリアとイエスを囲む使徒たちク(Mary & Jesus with 12 disciples)

ファサード上部のフリーズ(frieze)
ファサード上部にはフリーズ(frieze)と呼ばれる2段の帯状装飾が見えますが、この部分には荘厳のキリスト(玉座のキリスト)を二人の天使と12使徒が囲む像が彫り込んであります。
これがサンフアン・デ・ラ・ペーニャのマエストロが率いる工房の作品であろう、というのは一見して分かりますが、私がサンフアン・デ・ラ・ペーニャ修道院の回廊で、手をのばせば届きそうな至近距離から眺めたあの柱頭彫刻の持つ迫力には及ばない、という感じがします。

なおサンフアン・デ・ラ・ペーニャ修道院の回廊については、2010年 9月 21日付け『サンティアゴ巡礼路のロマネスク教会(2)』のBlog記事をごらんください。
http://surdepirineos.blogspot.ca/2010_09_01_archive.html


写真(12)キリストを囲む天使と12使徒たち(Christ and 12 deciples)

写真(13) 4人の福音書記者の象徴に囲まれた荘厳のキリスト(Christ in Majesty)

写真(14) 使徒の像(Apostle)クリックして拡大(Click to enlarge)

教会内部
教会内部の後陣部分(写真-16北後陣の図参照)はロマネスク様式の原型を保っていますが、中央祭壇にある祭壇障壁画は16世紀初めの作品です。実は後陣の柱頭にも12世紀の彫刻があり、レオデガリウスの作品もあるのですが、写真を撮り損ねてしまいました。
なお彩色木彫のマリア像は13世紀の作品です。

写真(15) 中央祭壇を眺めた図(View of the Altar)

写真(16) 北後陣(North Apse- 12th century)

写真(17)聖母マリア像(St. Mary with Jesús, 13th century Romanesque wood carving)

(補足)
(1)聖ヨハネ騎士団について
聖ヨハネ騎士団は病院修道会(Hospitallers)の別名を持つ通り、11世紀前半にエルサレムに於いて巡礼者の救援と看護を使命に設立された修道院がその母体ですが、第一次十字軍のエルサレム攻撃(1099年)に呼応して大いに活躍したことで一躍有名になりました。

祈りと病人の看護が使命の修道士たちが、巡礼保護と自衛のために武装したのがそもそもの始まりなのでしょうが、十字軍運動のうねりの中で騎士出身の団員が増え、しだいに世俗の王侯と共に戦う戦士集団に変貌していったのだと思います。聖ヨハネ騎士団は12世紀の初めにスペインに進出し、アルフォンソI世(戦闘王)のレコンキスタに参画しますが、自らが戦利品として勝ち取った領地に加え、国王や諸侯から免税特権や多大の寄進を受けた結果、12世紀末にはイベリア半島の一王国にも匹敵するほどの富と権力を手にしたと言われます。

大聖堂でも大修道院でもなく、巡礼都市サングェサの一教会にすぎないサンタ・マリア・ラ・レアル教会が、あれだけ立派なファサードを持つに至ったのは、やはり聖ヨハネ騎士団のうしろだてがあったから、と考えるのが順当だろうと思います。
アルフォンソI世が1134年に戦死し、それと共にアラゴン・ナバラ連合王国も崩壊したので、ナバラ王国側にはこの教会建設に肩入れする余裕はあまりなかったかも知れません。しかし潤沢な資産を持つ聖ヨハネ騎士団がついていれば、教会建設の資金繰りにはあまり困らなかっただろうと思います。

(2)サンフアン・デ・ラ・ペーニャのマエストロ(Maestro de San Juan de la Peña)
サンフアン・デ・ラ・ペーニャ修道院の回廊など、12世紀後半のスペインロマネスクの傑作を残した無名の名工は、アラゴンとナバラで柱頭彫刻の名作をいくつも残しています。トンボのように大きな目をした人物像がその特徴のひとつです。

この無名の名工は、''サンティアゴ・デ・アグェロのマエストロ'' と呼ばれることもあります。サンティアゴ・デ・アグェロ教会は、ハカの南西60kmのアグェロの町から2kmほど離れた丘のうえに建つ12世紀の教会で、外見は教会らしい形をとっていますが、よく見ると未完のまま放置されています。もともとはかなり大規模な教会を建てる構想だったのでしょうが、いったい誰が何のために建てようとしたのか、憶測を交えた意見はいろいろあるものの、本当のところはよく分からないという謎の教会です。

作風から判断して、この教会の彫刻を担当したのはサンフアン・デ・ラ・ペーニャのマエストロとその工房ではないか、とする説が有力です。
参考までにサンティアゴ・デ・アグェロ教会の正面入り口と彫刻作品をふたつだけご紹介します(写真(18-20)。いずれも力強い迫力のある作品です。

写真(18) サンティアゴ・デ・アグェロ教会の正面入り口(Main door)

写真(19) 正面扉左隅の持ち送り装飾の装飾のひとつ。東洋の龍に似た怪物が人をくわえた図。(A modillion of Santiago de Agüero, work supposedly done by the Maestro of San Juan de la Peña)

写真(20)正面入り口左側の柱頭彫刻。手前の柱頭は二人の踊り子と竪琴を弾く男、奥の柱頭は鹿を捕らえる二頭の獅子(Capitals at main entrance-on the left)


(Summary in English)
Sangüesa is a quiet city with 5,000 population located at 40 km east of Pamplona, the capital city of Navarra. However, during 11th-13th centuries at the height of the pilgrimage of Saint James Way(Camino de Santiago) Sangüesa used to be one of the important stops for pilgrims and a center for commerce among the towns and villages on the Aragon route of the Camino.

The construction of the Santa María la Real church is supposed to have been started when the Alfonso-I(the Battler), King of Aragon & Navarra, donated in 1131 his royal palace of Sangüesa to Knights Hospitaller. The famous façade richly decorated with Romanesque carvings was finished towards the end of the 12th century.
It is believed that the 2 workshops participated the construction of this façade; one is led by so called ''Maestro de San Juan de la Peña'' alias ''Maestro de Santiago de Agüero'', and another was led by Leodegarius(French name Léger) who probably had participated the work of Chartre Cathedral's West façade before coming to Sangüesa.
The 6 statue-columns at the entrance(3 Marys on the left, Peter, Paul and hanged Juda on the right) are the work of Leodegarius and his workshop, because ''Leodegarius me facit''(Leodearius made this) is incised on the book held by the Virgin Mary as per the photo(5). The upper two lines of friezes should be the work of Maestro de San Juan de la Peña and his workshop.
The church retains the original construction of 12th century around apse area, while the bell tower is of later addition in Gothic style. It is found inside the church a 13th century wooden statue of Virgin Mary with Jesus in polychrome. The altarpiece is of early 16th century work.

Some people believe that Maestro de San Juan de la Peña worked for the construction of Santiago de Agüero church which is about 60 km south west of Jaca. It is an enigmatic church. Very little is known of who and for what purpose this church was constructed and why it has remained unfinished. It is noticed common style between the capitals of San Juan de la Peña Monastery, Church of Santiago de Agüero and Santa María la Real of Sanguüesa. For photos of San Juan de la Peña monastery's cloister please see my blog dated Sep 21, 2010.
(http://surdepirineos.blogspot.ca/2010_09_01_archive.html)