2008年6月28日土曜日

ロバート・キャパ(Robert Capa)とスペイン内戦(1)


-失われたネガフィルムの謎―

2008年1月末の世界各国の主要紙に、「キャパのネガフィルム、70年ぶりにメキシコで発見」、というニュースが載りました。
ロバート・キャパ(本名Endre Friedmann, 1913-1954)はユダヤ系ハンガリー人で、スペイン内戦が始まった1936年7月にはまだ22歳の無名に近い報道カメラマンでしたが、その年の9月に南スペインのコルドバ県で共和国側の民兵部隊を取材中に、あの有名な「崩れ落ちる兵士」の写真を撮り、一躍戦争写真家として世界にその名を知られることになりました。

この写真は、被写体の民兵がフェデリコ・ボレル(バレンシア県アルコイ町出身の25歳の繊維労働者)と身元が判明しており、また撮影日は1936年9月5日で、場所はコルドバ県セロ・ムリアーノ村の戦場、とデータが揃っているにも関わらず、ネガフィルムが失われていることもあって、「やらせ」ではなかったか、という噂を打ち消すための決定的な証拠に欠けるうらみがありました。

今回メキシコ市で発見されたのは、スペイン内戦の写真が主体のフィルム100本、3,500コマにも及ぶ大量のオリジナル・ネガフイルムで、現物はいまニューヨーク市にある国際写真センター(International Center of Photography)に移され、整理と複製などの作業が行われているところです。まだ「崩れ落ちる兵士」のネガが見つかったという確認はありませんが、そのうち何か手がかりになる情報が発見されることを、キャパの名誉のためにも望みたいところです。
またこれまで未公開の写真や、すでに公表済みの写真であっても、オリジナル・ネガから新たに作成する質の良いプリントが一般に公開されることを、大いに期待しています。

キャパは1939年9月に第二次大戦が始まると、すぐパリを離れ米国に脱出しますが、そのときパリ在住の友人にスペイン内戦などを取材した大量のネガフィルムを預けて行きました。しかしその後このネガの行方が分らなくなり、戦乱のどさくさにまぎれて全てが失われてしまったものとされ、キャパもそう信じ込んでいたようです。そして、キャパが1954年5月にベトナムで第一次インドシナ戦争を取材中に、地雷を踏んで亡くなったこともあり、その後ネガを追跡する手がかりが失われていたのでした。

パリに保管してあったはずのキャパのネガが、なぜ数十年後にメキシコ市在住のベンハミン・タルベル(Benjamin Tarver)という映像作家の所有物としてメキシコで発見されることになるのか、というのはまさにミステリーで、今後の調査に待つしかありません。
これまでに分っているのは、このキャパのネガが入った3個の小型旅行カバンが、1941-42年に駐フランス・メキシコ大使を務めたフランシスコ・アギラル(Francisco Aguilar)将軍の遺品として、将軍の未亡人の所有物になっていたこと。そして、未亡人の甥にあたるタルベル氏が、それを遺産相続していたことが判明しています。
実はキャパの写真に詳しい人たちの間では、この幻のネガフィルムは「メキシコの旅行カバン(Mexican Suitecase)」という名前で、かなり前からその存在が知られていたようですが、やっとニューヨークへお里帰りをしたわけです。

これまでの調べでは、ドイツ軍占領下のパリに保管されていたネガは、スペイン共和国の元兵士に託され、マルセーユに向けて運ばれたらしいこと。そして、スペイン内戦が共和国側の敗北に終わったあと、フランスに脱出しマルセーユ経由でメキシコに移住した共和派の人たちが沢山いたこと。などがパリとメキシコをつなぐ手がかりのひとつとして指摘されていますが、誰がどうやってパリからメキシコまで運んだのか、またどういう経緯でアギラル将軍の手に渡ったのか、などは不明のままです。

メキシコ市の乾燥した気候がフィルム保存には幸いしたのでしょう、70年を経たネガフィルムの劣化は余りひどくはないようです。この中にはキャパの作品以外に、デイビッド・シーモア(David Seymour)が撮った写真と、これまでキャパの恋人ということでしか名前を知られていなかった、ゲルダ・タロ(Gerda Taro)の作品がたくさん含まれています。
ゲルダ・タロ(本名Gerda Pohorylle, 1910-1937)はユダヤ系ドイツ人で、報道写真家としても一流の腕を持ち、初期のスペイン内戦を取材した素晴らしい写真があります。キャパと行動を共にしていたので、キャパの名前で公表された写真の中には、実際には彼女が撮ったものもあると言われています。残念ながら、1937年7月にマドリッドに近いブルネテ戦線で、撤退する共和国軍の混乱に巻き込まれ、戦車に轢かれて26歳の若さで亡くなっています。女流報道写真家としては、世界で初めての戦場の犠牲者でした。ゲルダについては、また回を改めてもう少し詳しくお話しをしようと思っています。

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