2022年2月18日金曜日

スペイン・ロマネスクの旅(22)

サン・ミッシェル・ド・クシャ修道院(Abbey of Saint Michel de Cuxa

 (For the summary in English please see the end of this page)

前回のセラボナ修道院から西に30km、カタルーニャの聖山Canigó(2784m)のふもとにサン・ミッシェル修道院がある。9世紀半ばにベネディクト修道院として創建されたものである。

 

Photo(1) Saint Michel de Cuxa


教会(Church of Saint Michael)

修道院教会は、974年献堂の記録が残るプレロマネスク様式の建物だったが、ウリバ(Abad Oliba)修道院長の時代(11世紀前半)に大拡張工事がなされ、その姿を一新した。身廊30.5m天井の高さ14.4m、三廊形式の堂々たる教会である。

中世を通じて威勢を誇った大修道院ではあるが、フランス革命により教会財産を接収され、建物は荒れるがままに放置された結果、一時は廃墟になってしまった。現在われわれが目にするのは、20世紀になって復元された教会の姿である。

Photo(2)West view of the church


Photo(3)Church of Saint Michel(interior)

 

スペインのロマネスクは、ピレネー以北からの輸入文化である。ひとつは北イタリア、特にロンバルディアからカタルーニャに渡来し、もうひとつは、フランスからサンティアゴ巡礼のルートを通じて伝えられた。

 ウリバ修道院長は、ロンバルディアから熟練した工匠を呼びよせ、カタルーニャでは初めてという、38mの高さを持つ巨大なふたつの鐘塔を築かせた。北側の塔は19世紀に崩れ落ち、げんざい残っているのは南側の一塔のみ。

クシャ修道院は、11世紀初頭の大改修に際しロンバルディア様式を採用したことで、カタルーニャにおけるその後のロマネスク教会建築に大きな影響を与えることになった。

 

               Photo(4)Bell tower 


地下礼拝堂(Crypt)

1030年ころに築かれた円形のクリプトは、イエス生誕の場を象徴する「まぐさ桶の礼拝堂」と呼ばれている。カタルーニャのクリプトは小さなものが多い中で、この円形クリプトは直径9mとのことだが、ずいぶん大きく感じられる。ウリバによる大改装の遺産のうち、よく原型を保つ形で保存されているのが、このクリプトである。

Photo(5) Crypt


後陣の壁に張り付くようにそっと置かれてある、小さなマリア像の上品な顔立ちが印象的である。このマリア像は、コルネヤ(Corneilla de Conflent)の教会にあったものが、1950年代の修復工事の際に里帰りしたものだという。
言い伝えによると、フランス革命のとき、革命派の男たちの手であやうく火に投じられるところを目撃した女性が、「ああ、マリア様が!」と大声で叫んだので、男たちが思いとどまり、マリア像をその女性に手渡したのだという。 



Photo(6)Virgin Mary and Jesus 


トリビューンTribune

セラボナ修道院のトリビューンに似たものが、クシャにもあったらしい。16世紀に取り壊されたというが、そのアーチと浮彫の断片のいくつかが、教会堂から回廊に抜ける扉口を飾っている。

 Photo(7)Part of the tribune destroyed in the 16th Century

 

Photo(8)Relief of the tribune-right side(Seraphim)

 

Photo(9)Relief of the tribune-left side(Seraphim & monkey)

 クシャのトリビューンに取り組んだのは、セラボナを手掛けたと同じ工匠たちであったという。まずクシャで腕試しをしたうえで、セラボナで一大傑作を残したものらしい。なお同じ工匠たちの手になるトリビューンの柱頭彫刻が8個残っていて、20世紀に回廊を復元した際、それらの柱頭彫刻が活用された。

回廊(Cloister)

回廊は1130年ころに築かれたものと考えられている。下の写真で、左手の教会につながる部分が南側(29m)、正面が西側(38m)にあたる、規模の大きい変形四辺形の回廊である。

 柱頭彫刻は合計63個あったが、うち36個が20世紀初頭に流出し、いまはニューヨークの*クロイスター美術館(The Cloister)にある。なお回廊を修復した際、トリビューンの柱頭彫刻8個を加え、合計35個の柱頭彫刻で再構成された。

回廊の修復は、各地に散在していた彫刻などもかき集め、1950年代に完成した。クシャ修道院の柱頭彫刻の特徴は、セラボナ修道院と同じく絵柄として聖書の物語がほとんど目につかないことで、ライオン、鷲、植物文様などが、大胆にデフォルメされて彫り込まれている。物語りを絵解きするような、13世紀以降の柱頭彫刻には見られない、シンボルの持つ力強さを秘めた作品が多い。

(クロイスター美術館(The Cloister)については下記のBlog記事参照)  

        クロイスター美術館



Photo(10) Cloister(view from NE corner)

Photo(11)Cloister(SW corner)


Photo(12)Capital-Lions



Photo(13) Lions


Photo(14) Eagles

Photo(15) Seraphim


Photo(16) Man and Lions


Photo(17) Man and Lions(capital from the Tribune)



Photo(18) Eagles(capital from the Tribune)




Photo(19) Man and Lions


Photo(20) Man and acanthus leaves

 

Photo(21) Man and Eagles(capital from the Tribune)


クシャ修道院から南に目を向けると、正面にすこし雲をかぶったカニゴ山の美しい頂きが見える。5月半ばの写真。 

Photo(22)View of the Mount Canigó


ウリバ修道院長(Abad Oliba)

カタルーニャのロマネスクについて語るとき、必ず引き合いにだされるのがウリバ修道院長(971-1046)である。カタルーニャ北部のセルダーニャ・バザルー伯ウリバ・カブレタの三男として生まれ、1002年にリポイ(Ripoll)のサンタ・マリア修道院に入ったのが31歳、1008年に修道院長となり、1009年にはクシャ修道院長を兼任、さらにはビック(Vic)司教まで兼任(1018)した。

 修道院長・司教として、クリュニーに始まる修道院改革をカタルーニャで実行に移すとともに、多くの修道院や教会の新築・改修の先導役となった。またその一方で「神と平和の休戦」運動を推進するなど、中世カタルーニャの宗教・政治史に残る超人的な役割を果たした人である。

 スペイン・ロマネスクの時代、すなわち11世紀から13世紀にかけてのイベリア半島は、「レコンキスタ」と称するキリスト教領主の領土拡張戦争にあけくれる、戦国時代であった。ウリバよりすこし時代は下るが、エル・シッドと呼ばれるロドリゴ・ディーアス(1043-1099)が、傭兵の長から一気にバレンシア国王を名乗る身分に駆け上がった時代、腕っぷしの強いものが成り上がることのできた時代であった。文字の読めない武将もけっこういたという。そして、貴族といってもいざいくさとなれば、命がけで先頭に立たざるを得ない立場であった。

 ウリバはそんな貴族の地位よりも、自らの能力を存分に発揮できるのは、神に仕える道であると判断したのではあるまいか。「ウリバは貴族の地位を捨て修道院入りした」というとき、あえて優雅な貴族生活を捨て、清貧に甘んずる人生を選んだかの印象を与えるが、実は西欧世界から見ればしょせん地方の一豪族にすぎない、バザルー伯などの地位には収まりきらない、大きな人物だったということではないのだろうか。

一方で、カタルーニャ史の冒頭に必ず登場する、バルセロナ伯ギフレ(Guifré 840-897)を曾祖父に持つ出自が、ウリバがカタルーニャの宗教界でエリートの階段を駆け上がるための追い風になったことも、まちがいないであろう。11世紀のセルダーニャ伯の名前を記憶している人は少ないが、ウリバの名前は時代を越えて、歴史に刻み込まれているのである。

 ウリバは1046年に75才で没するまでの38年間、クシャの修道院長を務めている。特にクシャに愛着を感じていたのであろう。13世紀半ばころの記録によると、西欧世界の平均年齢は40-45才であったとのこと(『中世の森の中で』堀米庸三編)。ウリバが11世紀半ばに75才で亡くなったということは、現代の平均年齢80才に換算すると、130才を越える長寿を全うしたことになる。まさに超人的な体力と知力に恵まれた人だった。

(補足)

1)Olibaの日本語表記は、スペイン史関係の著作ではウリバに統一されているので、それに従った。カタルーニャ語のOはアクセントが来ない場合、ウに近い発音になるからである

 2)「ピレネーの南」と名付けたBlogで、しかも「スペイン・ロマネスクの旅」シリーズの中に南フランス・ルション地方のロマネスク教会を含める理由は、昨年12月の「スペインロマネスクの旅(18)(フノラールの聖マルティン教会 - Saint-Martin-de-Fenollar)」の記事で述べたが、この地方は17世紀半ばまでカタルーニャ領であり、ロマネスクの時代にはまさしくCataluña del Norte(北カタルーニャ)であった、という事情を勘案してのことである。

(Summary in Englsh) 

Church of Saint Michael 

The abbey church of Saint Michael had been a pre-Romanesque style building dedicated in 974, but it underwent a major expansion under  the reign of Abbot Oliba during the first half of 11th century. It has a nave of 30.5 meters long with a ceiling 14.4 meters high.

 Although the abbey kept a powerful place throughout the Middle Ages, the French Revolution led to the confiscation of the church property, and the building was left in disrepair, resulting in its temporary ruin. What we see today is a church that was restored in the 20th century.

Romanesque in Spain is an imported culture from north of the Pyrenees. The first came to Catalonia from northern Italy, particularly Lombardy, and the second from France via the pilgrimage route to Santiago.

At the time of expansion of the pre-Romanesque church Abbot Oliba brought skilled craftsmen from Lombardy to build the two huge bell towers,  each 38 meters high, firsts in Catalonia. The north tower collapsed in the 19th century, and only the south tower remains.

 Adoption of the Lombardian Romanesque style by the monastery of Cuxa in the early 11th century had a great influence on later Romanesque church architecture in Catalonia.

 Underground Crypt                                                                                                  This circular crypt, built around 1030, is called the "Chapel of the Manger," symbolizing the birthplace of Jesus. Many of the crypt in Catalonia are small but this circular crypt, with a diameter of 9 meters, seems big.

I was impressed by the elegant face of the small statue of Mary, which was placed gently on the wall of the apse. 

This statue of Mary used to be in the church of Corneilla de Conflent, but was returned to the church during the restoration work in the 1950s.

According to the legend, during the French Revolution, a woman of Corneilla de Conflent witnessed the statue being almost thrown into the fire by revolutionaries and shouted, ‘’Oh, Mary! ‘’ The men thought better of it and handed the statue of Mary to the woman.

Tribune                                                                                                                        There existed a tribune in Cuxa similar to the one in Serrabona Monastery. Unfortunately it was destroyed in the 16th century, but fragments of it, arch and some relieves are displayed at the door from the church to the cloister.

It is believed that the same workshop did the tribune of Cuxa who worked later at Serrabona. They first tested their skills at Cuxa and then left a great masterpiece at Serrabona. The eight capitals from the tribune survived and they were used at time of reconstruction of the cloister.

Cloister                                                                                                                        The cloister was built around 1130. In the photo(10) below, the left part which is next to the church is the south side (29m) and in front is the west side (38m) of the cloister. It makes a irregular quadrilateral 

Originally there were a total of 63 capitals, but 36 of them were sold in early 20th century and are now at The Cloister Museum in New York.

When the cloister was restored during 1950s, it was reconstructed with a total of 35 capitals including eight from the tribune.

Abbot Oliba 

When we talk about Romanesque in Catalonia, Abott Oliba (971-1046) is always mentioned. He was born in northern Catalonia as the third son of Oliba Cabrerta, Count of Cerdanya-Besalu. He entered the monastery of Santa Maria in Ripoll in 1002 at the age of 31. Later became the abbot in 1008, and at the same time assumed the abbot of Cuxa in 1009, and even bishop of Vic in 1018.

As abbot and bishop, he advanced monastic reform in Catalonia, which was started in Cluny. He also advanced building and renovating of many monasteries and churches. Abbot Oliba also promoted the "Truce of Peace with God" movement, thus playing a very important role in the religious and political world of Catalonia during the early part of the 11h century.

 




2022年2月2日水曜日

スペイン・ロマネスクの旅(21) 

サント・マリー・ド・セラボナ修道院教会(Priory of Sainte-Marie de Serrabona)

 (for summary in English please see the end of this article)

 カタルーニャの聖山カニゴ(Canigó標高2784m)の長い裾野につながる、標高600mくらいの高地に、11世紀創建のサント・マリー修道院教会がある。ペルピニャンの町からは西に40キロくらいの場所である。

 

写真(1) Road to the Pirory of Sainte-Marie de Serrabona



セラボナ(Serrabona)

教会への道は、Serrabona(カタルーニャ語で「善き山」)の名前にそぐわぬ、荒れた不毛の土地で、なぜ「善き山」なのかと誰もが首をかしげるような風景がつづく。

Zodiaque社のロマネスク手引書Roussillon Romanには、19世紀半ばころまではこの地域はいまほど乾燥した気候ではなく、山の湧き水などを引けば水利に困ることもなかった。まさしくSerrabonaは「恵みをもたらす善き山」であったのだ、という趣旨の記述がある。

そうだとしても、Serrabonaが自然の恵みをもたらしてくれる有難い山である一方で、村人たちにとっては神聖なうやまうべき山でもあった、とは考えられないだろうか。周辺にドルメン(巨石の墳墓)がいくつか残っているのを見ると、巨石・巨岩信仰ひいては山岳信仰につながる伝統を持つ地方ではないか、と思われる。

キリスト教到来以前の地場の聖地が、Santuarioとスペイン語で呼ばれるキリスト教の聖地になり、そこに教会が築かれた例を、私はいくつも目にしている。現代のわれわれにとっては、ただ不毛の地としか映らないSerrabonaだが、むかしむかしの村人たちは、「善き山」にうやまうべき聖なるものを見ていたのではあるまいか。


 

写真(2) Church Building(view from the North)

現存する建物は、12世紀に献堂されたロマネスク教会を修復したものである。これは北方向から眺めた写真で、教会への入口は右手方向(西)にある。

 

回廊(Cloister)

ふつう回廊は四辺形をしているものだが、セラボナの場合は、廊下のような一辺だけの回廊で、右手(南方)は深い谷に面している。円柱と柱頭の石材は大理石。奥に見えるのが教会への入口(翼廊に通じている)

教会を十字架の形に比すれば、縦柱が身廊で横柱が翼廊にあたる。そしてふつう教会への出入り口として、いわば十字架のねもとにあたる箇所に扉を設け、身廊に通じる形をとるものだが、セラボナの場合は回廊から右の翼廊へ向かう設定になっている。回廊の柱頭彫刻は、ライオンを刻んだものが圧倒的に多い。人物像には渦巻文様が組み合わされている。

 この回廊の柱頭も、19世紀末ころに売却の話が持ち上がったそうである。ルション地方のロマネスクを代表するサン・ミッシェル・ド・クシャ教会の柱頭は、その半分がニューヨークの*Cloister Museumにある。https://surdepirineos.blogspot.com/2020/ 参照

写真(3)Cloister

写真(4)Capital of the cloister(Lions and a man)

教会内部(Inside the church)

建物の内部はあまり広いものではなく、そのうえトリビューンが中央に位置しているため、いっそう狭く感じられる。

写真(5)Inside the church(view towards the apse)


トリビューン(Tribune)

トリビューンは、二階席と訳されたりもするが、大聖堂の場合はふつう壁に沿って建てつけられ、貴賓席や合唱隊の席となるものである。セラボナの場合は教会の真ん中に設置され、仕切り壁の役割を果たしているが、もともとは別の場所にあったものが、改装の際に現在の場所に移されたものであろう。

12世紀なかばの作とされる正面の壁面や柱頭彫刻は、ルション地方で産出する大理石をふんだんに使った、ロマネスク石材彫刻の一大傑作であり、セラボナの見どころである。屋内での保管という好条件もあずかり、風化による損傷などのないすばらしい出来栄えを堪能できるのは、まことに幸運である。

絵柄としては聖書に題材をとったものがほとんど見当たらず、ライオン像が目立って多いのもその特徴である。 またこの同じ工房が、次回に紹介を予定している、クシャのサン・ミッシェル教会(Saint-Michel-de-Cuxa) の石材彫刻の一部を手掛けたあと、セラボナに来てトリビューン制作に取り組んだとされている。彼らは、仕事を求めて移動していく腕利きの工匠たちであったらしい。

写真(6)Tribune(West view)


写真(7)Lion’s Head on the façade of the tribune



写真(8)Bearded man and beasts


写真(9)Tribune(Southwest view)


写真(10)Confronted lions


写真(11)Lions



写真(12)Man licked by lions


(Summary in English)

Serrabone Priory

 The Priory of Sainte-Marie de Serrabona, founded in the 11th century, is located at a hilltop called Serrabona at an altitude of 600 meters which is a continuation of long foothills of Mount Canigó, the holy mountain of Catalonia(2784 m). Serrabona is about 40 km west of the city of Perpignan.

 (Serrabona)The road to the church goes through a rough and barren land which does not live up to the name of Serrabona ("Good Mountain" in Catalan). The scenery is such that anyone would wonder why it is called "Good Mountain’’.

 In ‘’Roussillon Roman’’, a Romanesque guide book published by Zodiaque, there is a description to the effect that until the mid-19th century, the climate in this area was not as dry as it is now, and there was water supply available by drawing water from mountain springs, etc. The book concludes ‘’Serrabona was indeed a good mountain for villagers’’.

 Even if this is true, can we not think that Serrabona was also a respectable sacred place for the villagers of the Middle Ages? The fact that there are several dolmens (megalithic tombs) in the area suggests that the region had a long tradition of seeing megaliths, rocks, and mountains as something sacred. Serrabona looks like a barren land for us today, but once upon a time, the villagers might have seen a holy "Good Mountain" in it.

 The existing building is a restored Romanesque church originally dedicated in the 12th century. The entrance to the church is on the right side of the photo.(photo(2))

  (Cloister)Usually a cloister has a square shape, but in the case of Serrabona, the cloister has only one side gallery like a corridor, and the right side (south side) faces a deep valley. The columns and capitals are of marble.

At the end of the cloister there is an entrance to the church which leads to the right wing of transept. (photo (3)(4))

 (Tribune)The church building is not too big, and the large tribune in the center makes it looks even smaller.

A tribune is usually built along the wall and serves as a seat for nobility or choir. In the case of Serrabona the tribune is in the middle of the church. It should have been relocated to the current location during a reconstruction work of long time ago.

 The front wall and pillar carvings, made of marble and dating from the mid-12th century, are masterpieces of Romanesque stone carving.

The images of lion are conspicuously prevalent in stead of biblical themes which is common among Romanesque churches.The tribune is the highlight of the visit to Serrabona.

It is believed that this same workshop also produced the stone carvings for the Saint-Michel-de-Cuxa, a representative of the Roussillon Romanesque.  (photo(6)-(12))

 


2022年1月14日金曜日

スペインロマネスクの旅(20)
サン・ジェニ・デ・フォンテーヌ修道院 
(Saint-Génis-des-Fontaines Abbey)

(For summary in English please see the end of this article)
前々回のBlogで紹介した、フェノラール教会(Saint Martin de Fenollar)から東に10kmほどの距離に、創建8世紀の古い歴史を持つサン・ジェニ・デ・フォンテーヌ修道院がある。正面入り口のリンテル(lintelまぐさ石)に刻まれた浮彫のキリスト像は、初期ロマネスク彫刻を代表する傑作として、ロマネスクの教科書にも登場するほど有名な作品である。

なお修道院教会は19世紀半ばころ地区教会になり、名称もサン・ミッシェル教会に変更されたが、ロマネスク教会としは、旧称のサン・ジェニ・デ・フォンテーヌ修道院を称している。Google MapではSaint Michelと表示されるので、念のため付記しておきます。


写真(1) Church Entrance

Google Map(Cloitre Eglise Saint Michel = Saint-Génis-des-Fontaines Abbey)

      


Lintel(まぐさ石)
ふつう、教会出入口の開口部はアーチ構造になっているが、古い教会のばあい、開口部に長方形の石(Lintel)を架け渡す構造になっているものがある。サン・ジェニ修道院教会ではこのリンテル方式が採用され、そこにキリスト像が刻まれている。

浮彫りの上方に彫り込まれたラテン語の文言によれば、制作年代は1020年ころとなり、年代が判明している石材のロマネスク彫刻のなかでは、もっとも早い時期の作品とされている。なお石材は白い大理石だが、ニスのようなものが塗ってあるため、すこし黄ばんで見えるのだという。

昨年末から、ルション地方の小さなロマネスク教会をいくつか紹介しているが、ルションはロマネスク彫刻誕生の地であり、このリンテルに彫り込まれた浮彫のキリストの姿ほど「およそ芸術様式の初期のものだけが持っている、ういういしい魅力があります」という、林ふじ子氏の言葉を痛感させるものはない。これだけを見るために、遠路はるばる足を運ぶ人がいるのも、むべなるかなと思う。
さらに林氏の表現を借りれば、「ロマネスク彫刻の特色は、建築と深く結びついていることです。一見稚拙で奇異な感じさえするのは、彫刻の形が建築の枠組みにあわせてデフォルメされるためです」(「スペインープレロマネスク紀行」p.26-27林ふじ子(1994皆美社)
なんど見ても見あきることのない、初期ロマネスク彫刻の魅力を解き明かしてくれる言葉である。

現存する教会は、12世紀にロマネスク様式で新しく建てられたものなので、より正確には、キリスト像の刻まれた石(もとは祭壇あたりに飾られていたものかも知れぬ)を、新教会のリンテルとして再活用した、ということであろう。
ともかく、このリンテルが本修道院の最大の見どころである。


写真(2) Facade

写真(3)Lintel

写真(4)Close up of lintel(relief of Majestic Christ in mandorla) 


写真(5)Interior of the church

私たちが訪れた時は、ちょうど週末のミサが終わったところで、司祭にご挨拶をして回廊を拝観することができた。今は拝観料を払えば気軽に教会内に入れるらしい。教会内部は12世紀ころのロマネスク様式を保っているが、祭壇は後世のものである。


回廊(Cloister)
廻廊は13世紀の後半に完成しているが、色違いの大理石の柱を組み合わせるという珍しい趣向で、後期ロマネスク回廊の中でも、特異な雰囲気を有するものであったらしい。
 
サン・ジェニは由緒ある修道院ではあるが、苦難の歴史をたどった。財政的にもあまり恵まれなかったのか、16世紀にはバルセロナ近郊モンセラットの修道院に併合されたりしている。最終的には、フランス革命のあと修道士が追放され、建物は複数の競売者の手に落ち、修道院は終焉を迎えることになる。
そして1850年以降は、サン・ミッシェル教会の名前で、地区教会として存続することになった。

1920年代に回廊が美術商の手でコレクター向けにばら売りされ、柱頭なども散逸してしまったが、それから半世紀ばかりして、サン・ジェニ修道院再建の機運が実を結び、各地に散逸していた柱や柱頭などのうち、回収できたものを活用して
1980年代に回廊の復元工事が実現した。


写真(6) Cloister(13th Century)

写真(7) Cloister(13th Century)



柱頭彫刻(Capital)
柱頭彫刻は、亀などの動物や草木など、身近な主題を取り上げた点で新しい試みは認められるが、後期ロマネスクの作品にしては完成度が低く、修道士の手になるも
のではないか、などの見方もある。
 

写真(8) Capital

写真(9) Capital

Summary in English)

Abbey of Saint-Génis-des-Fontaines

The Abbey of Saint Genis des Fontaines was founded in 8th century and is located about 10 km east of the Saint Martin de Fenollar church which was mentioned in the previous article.

The famous relief of Majestic Christ carved on the lintel is the masterpiece of early Romanesque sculpture. It was made around 1020 judging from the Latin inscription above the relief.
The stone is white marble, but it looks a little brownish due apparently to the varnish coating.

The abbey became a parish church in the mid 19th century, and its name was changed to the Church of Saint-Michel(as shown on the Google Map above). However we continue using the old name of Abbey of Saint-Génis-des-Fontaine as a Romanesque church.

The cloister was completed in the second half of the thirteenth century in a late Romanesque style. It was a unique cloister with marble columns of different colors from various quarries.

Saint-Génis has survived a long history, sometimes with difficulty. In 16th century it was merged with Monastery of Montserrat near Barcelona for survival. The serious problem happened after the French Revolution when the monks were expelled and the property fell into the hands of several auctioneers, thus the monastery was lost.

In the 1920s the cloister was sold off in pieces by art dealers, and unfortunately, the pillars and capitals were scattered. However, about half a century later, the momentum to rebuild the monastery of Saint Genis came to fruition, and in the 1980s the cloister was reconstructed using recovered material.

2022年1月7日金曜日

 スペインロマネスクの旅(19) Abbey of Saint Mary of Arles-sur-Tech (アルル・シュル・テッシュの聖母修道院教会)

(For summary in English please see the end of this article)

前回ご紹介した、サン・マルタン・ド・フノラール教会から西に20kmばかりのところに、Arles-sur-Techという人口2700人くらいの町がある。今はその地区教会になっている聖母修道院教会は、カール大帝が対イスラムのレコンキスタに注力した時代、すなわち8世紀にまでさかのぼる、カタルーニャ最古と称する修道院がその母体である。

1000年を越える修道院の歴史の中で、ある時は改装が行われ、またある時は荒れるがままに放置された結果、いまでは創建時の建物の姿をうかがうことも困難な状態になっている。
しかし、教会入口のタンパンに刻み込まれたキリスト像は、11世紀の作品(この時代ではおそらく初めての人像)であり、「ロマネスク彫刻の芽生えを告げるもの」との高い評価を受けている。このキリスト像を見るためにだけ訪れる人もいるほど、知る人ぞ知る浮彫彫刻である


写真(1)Christ Pantocrator(relief sculpture)on tympanum




写真(2) Facade of the church

写真(3) Entrance

タンパン(tympanum)のキリスト像図を拡大してみると、福音書の4人の書記者のシンボル鷲(ヨハネ)、牛(ルカ)、獅子(マルコ)、人(マタイ)に囲まれた全能のキリスト、という絵柄であることがよく分かる。しかし「全能」という言葉とはうらはらに、いかにも親しみやすいイエスの顔が刻まれている。この浮彫を「およそ芸術様式の初期のものだけが持っている、ういういしい魅力」と評したのは、『スペインープレロマネスク紀行』(皆美社1994年)の名著を残された、林ふじ子氏である。

写真(4) Christ Pantocrator(relief sculpture)(cloes up)

教会内部
教会の中は三廊構成になっていて、けっこう規模の大きい建物である。ただ写真からもうかがえる通り、何様式ともいい切れない、つぎはぎの建築になっている。


写真(5)View towards the altar


回廊(Cloister)
14世紀の初めころにゴシック様式で改装されたものらしい。カタルーニャにはこの手の端正なゴシック回廊を持つ教会がいくつかあるが、装飾を極力排した細身の円柱には、ロマネスク回廊とは異なる美しさを感じさせるものがある。

写真(6)Gothic Cloister

写真(7)Gothic Cloister



Abbey of Saint Marie of Arles-sur-Tech

Arles-sur-Tech is a town with a population of about 2,700 people, located at 20 km west of the church of Saint-Martin de Fenollard which was introduced last month.

The church of Saint Marie of Arles-sur-Tech was founded in the 9th century as a historic monastery but now it is the town's local church,

During more than 1000 years of the monastery's history, it has been renovated at times and left in disrepair at other times, and as a result, it is now in a state where you will have hard time to catch a glimpse of the original building.

However, the relief sculpture of Christ Pantocrator carved onto the tympanum is probably the first human carving of this period, and it is highly regarded as "the beginning of Romanesque sculpture". It is so well known that some people visit the church only to see it.

The church is quite a large building with three naves based on Romanesque style. However, as you can see from the photos, the architecture is a bit of a patchwork of different styles.

The cloister was remodeled in the Gothic style during the 14th century. There are several churches in Catalonia with Gothic cloisters of this kind. The slender columns with minimal decoration offer a different beauty compared with Romanesque cloisters.